奥平貞虎
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奥平 貞虎(おくだいら さだとら、寛文8年(1668年) - 宝永7年10月6日(1710年11月26日))は、江戸時代前期の伊予松山藩の家老、奥平藤左衛門家3代当主。
父は奥平貞守。養子は奥平貞継。通称は又次郎、内匠、源兵衛、藤左衛門。
生涯
[編集]寛文8年(1668年)11月、伊予松山藩の家老奥平貞守の子として松山に生まれる。貞享元年(1685年)、老父の隠居により家督と知行2500石を相続(同年に父死去)。元禄4年(1691年)、江戸家老となる。元禄7年(1694年)、幕府より、藩主松平定直が江戸城西ノ丸普請の助役を命ぜられ、その惣奉行を務める。元禄12年(1699年)、500石の加増を受ける。宝永2年(1705年)、将軍世子徳川家宣の権大納言昇進のため、名代の御使となった定直の共をして上京、宮中参内に供奉する。宝永7年(1710年)、地理誌『予陽郡郷俚諺集』を編纂する。
同年10月6日死去。享年43。家督は養子の貞継が相続した。
参考文献
[編集]- 『松山叢談』