宜野湾市立普天間第二小学校
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宜野湾市立普天間第二小学校 | |
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北緯26度17分06秒 東経127度46分13秒 / 北緯26.285083度 東経127.770278度座標: 北緯26度17分06秒 東経127度46分13秒 / 北緯26.285083度 東経127.770278度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宜野湾市 |
設立年月日 | 1969年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B147220500054 |
所在地 | 〒901-2201 |
沖縄県宜野湾市新城二丁目8-19 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宜野湾市立普天間第二小学校(ぎのわんしりつ ふてんまだいにしょうがっこう)は、沖縄県宜野湾市新城二丁目にある公立小学校。
概要
[編集]1969年に宜野湾市立普天間小学校から分離開校した[1]。宜野湾村が市になった1962年ごろから人口が増え、同小の児童数が限界に近づいたことによる[1]。
学校の北側には普天間三叉路が、その周辺に普天間神宮や商店街などがある[1]。また、南側は米軍の普天間飛行場とフェンス越しに向かい合っている[1]。
沿革
[編集]- 1968年8月26日 - 設立認可[2]。
- 1969年4月 - 開校[1][3]。
- 1996年 - 新校舎竣工[1]。
- 2012年
- 2017年12月13日 - 米軍のCH-53Eヘリから重さ7.7kgの窓がグラウンドに落下し、男子児童一人が軽傷[5]。
教育目標
[編集]以下の通り[6]。
- 進んで学習し よく考える子 (知育)
- 明るく心豊かな子 (徳育)
- じょうぶで 気力のある子 (体育)
校歌
[編集]作詞は宮城清吉、作曲は田場盛徳による。歌詞は3番まである[7]。
主な進学先
[編集]交通アクセス
[編集]- バス停「南新城」下車
騒音被害
[編集]- 米軍普天間基地に隣接するため、教育活動に支障をきたす騒音被害が存在する。学校では国会議員などの政治家や政府関係者の視察が行われたこともある[8]。
- 児童の教育環境の改善のため、2020年4月現在までに2度移転計画が持ち上がっているが、費用調達や計画内容の策定における問題で学校及び保護者側と政府側で調整が付かずに頓挫している[9]。また、当校の移転の有効性を疑問視し普天間飛行場の移転を主張する声もある[10][11]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “学校概要”. 宜野湾市立普天間第二小学校. 2017年12月29日閲覧。
- ^ 学校周辺の地図 - 普天間第二小学校ホームページ内(これに詳細な日付の記載あり)
- ^ a b c “沖縄40年 <爆音なき教室 志半ば>”. 朝日新聞社 (2012年4月3日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ “防衛相「ご迷惑おかけしました」 訪問先の小学校長に”. 朝日新聞社 (2012年2月18日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ “翁長知事が政府に直接抗議へ”. 沖縄テレビ/FNN (2017年12月14日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ “学校経営”. 宜野湾市立普天間第二小学校. 2017年12月29日閲覧。
- ^ “校歌”. 宜野湾市立普天間第二小学校. 2017年12月29日閲覧。
- ^ “沖縄で窓落下の小学校視察=小野寺防衛相”. 時事通信 (2017年12月24日). 2017年12月27日閲覧。
- ^ “そもそも普天間第二小はなぜ米軍基地に隣接しているのか?”. 沖縄タイムス (2017年12月27日). 2017年12月27日閲覧。
- ^ “普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)【誤解だらけの沖縄基地・10】”. 沖縄タイムス (2016年2月2日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ “【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転”. 産経新聞社 (2010年1月9日). 2017年12月29日閲覧。 (元記事削除済みのため魚拓)
参考文献
[編集]- "残る基地 校長の無念" 2012年3月30日付朝日新聞夕刊(大阪本社3版)15面