コンテンツにスキップ

宮川光治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮川 光治(みやかわ こうじ、1942年2月28日 - )は、日本の弁護士、元最高裁判所判事2008年9月3日 - 2012年2月27日)。元青年法律家協会事務局長。

人物

[編集]

日本占領下の中華民国青島市生まれ。引揚時に北京市から天津市へ逃れる際に、一時は行方不明となるも救出されて日本に帰国した。以後は名古屋市で過ごし、地元の名古屋大学法学部を卒業後、東京で弁護士として活動[1]

2008年最高裁判所判事に就任。2012年1月16日の君が代不起立訴訟の最高裁判決で、他の4人の裁判官が「学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内」などとして戒告処分を容認する中、ただ一人「注意や訓告にとどめるべきだ」と反対意見を述べた。

2012年2月20日光市母子殺害事件の最高裁判決で、他の裁判官が死刑を支持する中、18歳未満の被告に死刑は科せないと定めた少年法の規定に言及し、「被告人の精神的成熟度が18歳未満だった可能性がある」として、ただ一人「審理を差し戻すべきだ」とする反対意見を述べた。死刑事件で反対意見がつくのは異例の中の異例。

経歴

[編集]

担当審理

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ [1]中国帰国者の会
  2. ^ [2]
  3. ^ 羽田元首相、倍賞千恵子さんら4099人受章”. 産経新聞 (2013年4月29日). 2023年2月7日閲覧。
  4. ^ [3]
  5. ^ 【光市母子殺害】年齢で死刑回避せず 被害感情、残虐さ重視+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

関連項目

[編集]