小玉新太郎
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小玉 新太郎(こだま しんたろう、1885年 - 1923年)[1]は、日本の化学者。1913年に鰹節のうまみ成分がイノシン酸であることを発見した[2][3]。
経歴
[編集]1903年(明治36年)に愛媛県立松山中学校を卒業した[4]。1907年(明治40年)3月に東京高等師範学校の数物化学部を卒業した[5]。1910年(明治43年)12月に京都帝国大学理学部純正化学科を卒業した[6]。京都帝国大学時代は久原躬弦門下であった[1]。
その後、鈴木製薬所(現在の味の素)に入り、池田菊苗の指導の下で東京帝国大学で研究に従事した[1]。このとき、鰹節のうまみ成分がイノシン酸であることを発見した。
1923年に死去した[注釈 1]。
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 廣田鋼蔵 (1982). “池田菊苗博士の後半生の活動と思想”. 化学史研究 (2): 50 .
- ^ 「イノシン酸」『改訂新版 世界大百科事典』 。コトバンクより2024年8月20日閲覧。
- ^ 小玉新太郎 (1913). “イノシン酸の分離法に就て”. 東京化學會誌 34 (7): 751-757 .
- ^ 『愛媛県立松山中学校一覧 明治39年4月』愛媛県立松山中学校、102頁 。
- ^ 『東京高等師範学校一覧 明治44年4月-45年3月』東京高等師範学校、28頁 。
- ^ 『京都帝国大学卒業生名簿』京都帝国大学、1936年、347頁 。
- ^ 國中明 (2007). “うま味の発見と展開 86年間(1908~1993年)の軌跡”. 化学と生物 45 (8): 589 .