小西浩文
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小西浩文(こにし ひろふみ、1962年〈昭和37年〉3月15日 - )は、日本の登山家。世界の8000m峰14座すべての無酸素登頂を目標として、現在まで6座に無酸素での登頂を果たしている。身長174cm、体重69kg。石川県金沢市生まれ。
経歴
[編集]- 父の転勤に伴い、兵庫県宝塚市に移転宝塚市立宝梅中学校転入、大阪市の北陽高等学校入学、山岳部に入部し、3年次には主将を務める。
- 北陽高校卒業後、山梨学院大学に入学するが、3ヶ月で退学。
- 1982年(昭和57年)、20歳で、中国・パミール高原にあるコルジェネフスカヤ峰(7,105m)とコミュニズム峰(7,495m)に連続登頂を果たす。続いて同年10月10日、シシャパンマ(8,027m)にも無酸素登頂、パートナーは駒宮博男。
- 1984年(昭和59年)、ナンガ・パルバット(8,125m)、ディアミール壁ルートに挑戦するも7,600mで敗退。
- 1985年(昭和60年)、マッキンリー(6,194m)登頂。
- 1986年(昭和61年)、ケニア山(ケニア)、キリマンジャロ(タンザニア)登頂。映画「植村直己物語」の撮影に参加する。
- 1987年(昭和62年)、レーニン峰(7,134m)登頂。
- 1989年(平成元年)、ハン・テングリ(7,010m)日本人初登頂。
- 1990年(平成2年)1月、群馬県ミヤマ山岳会・桐生山岳会の混成メンバー(佐藤光由、弥野光一ら)で剱岳八つ峰ルートに挑戦するが、異常降雪により遭難。ヘリにより救助される。
- 1991年(平成3年)7月30日、ブロード・ピーク(8,051m)に無酸素登頂、パートナーは山野井泰史、長尾妙子ら。
- 1993年(平成5年)7月31日、ガッシャーブルムII峰(8,035m)に無酸素登頂、パートナーは山野井泰史、長尾妙子、戸高雅史。
- 1995年(平成7年)5月9日、チョ・オユー(8,201m)に無酸素登頂。
- 1996年(平成8年)10月、エベレスト(8,848m)の無酸素登頂に挑むが7500m地点で雪崩に遭い敗退。最大のザイルパートナーだったロブサン・ザンブーを失う。
- 1997年(平成9年)、ダウラギリI峰(8,167m)、ガッシャーブルムI峰(8,068m)に無酸素登頂。
- 1998年(平成10年)、アマ・ダブラム(6,812m)にガイドとして登頂。
- 1999年(平成11年)、 GTホーキンス(インターナショナルトレーディングコーポレーション)のイメージキャラクターを務める。
- 2001年(平成13年)、テレビ朝日『ネイチャリングスペシャル 西田敏行 米大陸最高峰アコンカグアに挑む』に出演。
- 2002年(平成14年)、マナスル(8,163m)に挑むが悪天候により7,700mで敗退。
- 2007年(平成19年)、映画『ミッドナイト・イーグル』で、山岳アドバイザーの任を務める。
著書
[編集]- 『生き残る技術 : 無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意』(講談社+α新書)(講談社,2009年) ISBN 978-4062726290
参考文献
[編集]- 加藤幹敏,原真『ドキュメント速攻登山 : それぞれのシシャパンマ峰8012m-'82』(東京新聞出版局,1984年)ISBN 4808302187
- 長尾三郎『無酸素登頂八〇〇〇メートル一四座への挑戦 : スーパークライマー小西浩文の愛と墓標』(講談社,2003年) ISBN 4062118742