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山崎小五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山崎やまざき 小五郎こごろう
1953年
生誕 1905年11月10日
日本の旗 日本福岡県
死没 (1976-08-02) 1976年8月2日(70歳没)
日本の旗 日本東京都
所属組織 海上保安庁
海上警備隊
警備隊
海上自衛隊
軍歴 1952年 - 1954年
最終階級 海将
除隊後 運輸事務次官
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山崎 小五郎(やまざき こごろう、1905年明治38年〉11月10日 - 1976年昭和51年〉8月2日)は、日本海上自衛官逓信運輸通信運輸官僚。第24代運輸事務次官海上保安庁次長、初代海上幕僚長。最終階級は海将

Y委員会の一員として海上自衛隊の創設に尽力し、MSA協定に基づく日米艦船貸与協定を締結、護衛艦の国産を開始。コーストガードからネイビーへの橋渡しを終えて運輸省へ戻り事務方の頂点に就任する。

経歴

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福岡県出身。山崎迂太郎の五男として生まれる。東筑中学第七高等学校造士館を経て、1931年(昭和6年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年(昭和4年)12月に高等試験司法科試験1930年(昭和5年)10月、高等試験行政科試験にそれぞれ合格。1931年(昭和6年)4月、逓信省に入り逓信局書記兼通信書記として深川郵便局(東京府)に配属。

その後、大津郵便局長(滋賀県)、華北電政総局経理局主計課長、華北電信電話株式会社経理部主計課長、大阪逓信局無線課長、逓信省貯金局事務官兼逓信事務官、東京都市逓信局放送部長、電気庁第一部監督課長、兼電気庁長官官房総務課長、電気局総務課長、運輸通信書記官・海運総局船員局整備課長などを歴任し、終戦を迎えた。

1946年(昭和21年)2月、運輸省海運総局官房総務長に就任。以後、不法入国船舶監視本部副本部長、海上保安庁保安局長、経済安定本部部員、同建設交通局次長、海上保安庁次長などを歴任。

1952年(昭和27年)4月、海上警備隊発足と同時にそのトップである海上警備隊総監に就任した。その後、海上警備隊が警備隊(第二幕僚長)を経て、海上自衛隊に改編後も引き続き初代海上幕僚長に就任したが(1954年〈昭和29年〉7月1日)、1か月後の同年8月3日に退任して運輸省に戻り、運輸事務次官に就任した。

逓信省運輸通信省運輸省海上保安庁)の文官であった山崎が、突然に武官に転じて海上警備隊総監に就任したのは「海上警備隊の創設時に、たまたま山崎が海上保安庁のNo2だった」偶然によるものであったが、山崎は部下の大半を占める帝国海軍の元士官たち(海軍兵学校海軍機関学校卒業者)の声をよく聞いて円満な関係を保ったという[1]

年譜

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栄典

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  • 勲二等瑞宝章 - 1976年(昭和51年)8月2日

脚注

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  1. ^ 小名孝雄「歴代海幕長を総点検する」『軍事研究』1985年6月号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、1985年、174-187頁。 
  2. ^ 『官報』本紙第6139号(昭和22年7月3日)
  3. ^ 『官報』本紙第6712号(昭和24年6月1日)
  4. ^ 『官報』本紙第6734号(昭和24年6月27日)
  5. ^ 『官報』本紙第6744号(昭和24年7月8日)
  6. ^ 『官報』本紙第7311号(昭和26年5月26日)
  7. ^ 『官報』本紙第7593号(昭和27年5月1日)
  8. ^ 『官報』本紙第8353号(昭和29年11月4日)
  9. ^ 『官報』本紙第8284号(昭和29年8月13日)
  10. ^ 『官報』本紙第8737号(昭和31年2月15日)
  11. ^ 『官報』本紙第14888号(昭和51年8月21日)
  12. ^ 『官報』本紙第14887号(昭和51年8月20日)

参考文献

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  • 世界の艦船』2002年5月増刊号 海上自衛隊の50年(海人社)
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
先代
創設
海上幕僚長
初代:1954年
次代
長澤浩