コンテンツにスキップ

山田礼子

拡張半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

やまだ れいこ
山田 礼子
プロフィール
本名 山田 礼子[1]
性別 女性
出身地 日本の旗 日本熊本県[2]
生年月日 (1948-12-29) 1948年12月29日(75歳)
血液型 B型[3]
身長 162 cm[2]
職業 声優俳優
事務所 リベルタ[2]
公式サイト 山田礼子|リベルタ
活動
活動期間 1970年代 -
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

山田 礼子(やまだ れいこ、1948年12月29日[4] - )は、日本女性声優女優演出家リベルタ所属[2]熊本県出身[2]

以前はぐるーぷえいと[2]マウスプロモーション[5]に所属していた。

略歴

共立女子短期大学卒業[4]後、熊本放送に勤務する[2]

東京アナウンス学院に2期生として入学[6]

1973年の卒業後、同期生で劇団ぐるーぷえいとを結成。塩見龍介早野寿郎に師事する[6]

塩見・早野の没後、1993年の解散まで代表を務める[6]

声優として『サザエさん』(お軽、裏の老婆)、『うる星やつら』(ラムのママ)、『ハイカラさんが通る』(如月)を担当[6]

1989年度(平成元年度)、ぐるーぷえいと公演『女の声』での演技により第44回文化庁芸術祭賞(演劇部門)を受賞[7]

1994年クモ膜下出血で倒れて右半身不随となったが、声優としては3か月後に復帰。舞台には一度復帰したものの、自らの動きに納得出来なかったことから「自由に動けるまで舞台に立たない」と決意し、以降は演出家として活動[6]

2020年以降、『サザエさん』での持ち役を段階的に降板しており、タケオ役は三日尻望(2020年11月 - )、お軽役は駒塚由衣2023年6月 - )にそれぞれ交代している。

人物

声種アルト[8]。特技は熊本弁鹿児島弁[2]

清川元夢とは親交があり、清川主催の劇団劇舎には第1回公演から参加。また、劇舎の付属養成所である声優塾D.D.(ドリームドア)では代表を務め、後身の育成にあたっている[6]

出演

テレビアニメ

時期不明
  • サザエさん(時期不明 - 、お軽〈初代〉、裏のお婆さん〈3代目〉、橋本〈2代目〉、ノリスケの母〈3代目〉、タケオ〈2代目〉)
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1982年
1983年
1984年
1985年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1994年
1995年
1996年

劇場アニメ

OVA

  • 華星夜曲(1989年、花艶楼のおかみ)
  • なにわ遊侠伝(1992年、溝垣春江)

ゲーム

吹き替え

海外映画

海外ドラマ

海外アニメ

テレビ番組

脚注

  1. ^ 掛尾良夫 編「女性篇」『声優事典』(第二版)キネマ旬報社、1996年3月30日、559頁。ISBN 4-87376-160-3 
  2. ^ a b c d e f g h 山田 礼子”. リベルタ]. 2022年1月7日閲覧。
  3. ^ 劇舎声優塾D.D.”. 劇団劇舎. 2019年2月8日閲覧。
  4. ^ a b 『日本タレント名鑑(1988年版)』VIPタイムズ社、1988年、477頁。 
  5. ^ 新所属者のお知らせ”. マウスプロモーション (2018年6月4日). 2022年5月5日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 「劇舎」とは?”. 「劇団劇舎」公式サイト. 2022年5月5日閲覧。
  7. ^ 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和61年度(第41回)〜平成7年度(第50回)” (PDF). 文化庁. p. 4. 2015年6月8日閲覧。
  8. ^ 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、108頁。 
  9. ^ はいからさんが通る”. 日本アニメーションOFFICIAL SITE. 日本アニメーション. 2016年6月3日閲覧。
  10. ^ キャラクター”. 魔神英雄伝ワタル. 2020年12月7日閲覧。
  11. ^ ピグマリオ”. 日本アニメーションOFFICIAL SITE. 日本アニメーション. 2023年6月4日閲覧。

外部リンク