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島津忠彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津 忠彦
生年月日 1899年8月30日
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市清水町[1]
没年月日 (1980-05-12) 1980年5月12日(80歳没)
出身校 成蹊実業専門学校本科卒業
前職 実業家
所属政党 自由民主党
称号 勲二等旭日重光章
男爵
親族 島津珍彦(祖父)
島津忠欽(祖父)

在任期間 1939年7月10日 - 1947年5月2日

選挙区 鹿児島地方区
当選回数 2回
在任期間 1947年5月3日 - 1956年6月3日
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島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年明治32年)8月30日[2] - 1980年昭和55年)5月12日[2][3])は、昭和期の日本実業家政治家華族男爵)。貴族院男爵議員参議院議員(2期)。重富島津家第8代当主(越前島津家第23代当主[4])。

経歴

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鹿児島県[5]鹿児島市清水町出身[1]男爵島津壮之助の長男として生まれる[2][6]。父の死去に伴い、1925年(大正14年)4月15日、男爵を襲爵した[2][7]

鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制) を経て[1]1923年(大正12年)成蹊実業専門学校本科を卒業[3]三菱銀行に勤務[6](約10年間[1])。以後、三和電機社長、鈴木商店代表者、鹿児島製紙興業社長などを務めた[3][8]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[9][10]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任[3]大蔵省委員も務めた[3]

戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙鹿児島地方区に出馬して当選し(任期3年)、第2回通常選挙でも再選された[8]。その後、自由民主党に所属し、参議院電気通信委員長を務めた[8]。その他、帝都高速度交通営団理事、阪神高速道路公団監事を務めた[5]

1969年(昭和44年)秋の叙勲で勲二等旭日重光章(勲四等からの昇叙)[11][12]

親族

[編集]

脚注

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  1. ^ a b c d 『南日本新聞』1950年6月6日、1頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 上巻』739-740頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』73-74頁。
  4. ^ a b 朝日新聞鹿児島総局 編『薩摩の殿』南方新社、2008年10月6日、26-27頁。ISBN 978-4-86124-143-7 
  5. ^ a b 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』304頁。
  6. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』シ63頁。
  7. ^ 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  8. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』327頁。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  10. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  11. ^ 島津 忠彦」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%20%E5%BF%A0%E5%BD%A6コトバンクより2023年1月2日閲覧 
  12. ^ 『官報』号外第146号2頁 昭和44年11月4日号

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』社団法人霞会館、1996年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
議会
先代
左藤義詮
日本の旗 参議院電気通信委員長 次代
廃止
日本の爵位
先代
島津壮之助
男爵
(重富)島津家第3代
1925年 - 1947年
次代
華族制度廃止