広橋国子
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広橋 国子(ひろはし くにこ、大永4年(1524年) - 弘治3年9月11日(1557年10月3日))は、後奈良天皇の典侍。父は内大臣の広橋兼秀。藤原国子とも呼ばれる。従三位。
内大臣の広橋兼秀の娘として生まれる。母は勧修寺政顕の四女。享禄3年(1530年)に後奈良天皇の典侍となる。天文21年(1552年)に聖秀女王を生む[1][2]。
弘治3年9月11日(1557年10月3日)、死去。享年43。法名は貞誉[1]。
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