折井孝男
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名前 | ||||||
本名 | 折井 孝男 | |||||
カタカナ | オリイ タカオ | |||||
ラテン文字 | ORII Takao | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1952年??月??日 | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1984 | 日本女子 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
折井 孝男(おりい たかお、1952年[1] -)は、日本の元サッカー指導者、病院薬剤師。元サッカー日本女子代表監督。
サッカー指導者として
[編集]ハンガリーや西ドイツでコーチ研修を修了し、FCジンナンで指導者として活動[2][3]。
1984年10月に、サッカー日本女子代表が中国遠征のために1981年以来3年ぶりに編成された。そして、折井がこの遠征で日本代表の指揮を執った。この遠征で、日本代表はイタリア代表とオーストラリア代表の2チームと計3試合戦ったが3試合とも敗れた[4]。
病院薬剤師として
[編集]NTT東日本関東病院薬剤部長、河北総合病院薬剤部長、東京医療保健大学大学院臨床教授、東京大学医学部附属病院将来計画推進室・大学病院医療情報ネットワーク薬剤小委員長、日本病院薬剤師会理事・国際交流委員会委員長、日本ジェネリック医薬品・バイオシミラー学会理事、日本医療薬学会代議員、日本医薬品情報学会代議員、国際病院認証支援機構理事などを務める[2][5]。
脚注
[編集]- ^ 折井孝男 - Webcat Plus
- ^ a b “【ヒト・シゴト・ライフスタイル】世界の頂点に挑み、目標が形に‐薬学生初の競泳五輪選手 松島美菜さん”. 薬学生新聞. 薬事日報社 (2020年1月1日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ “新たな時代到来の予感…WEリーグ初代チェア岡島氏が語る、女子サッカー界の“理想形””. AERA dot.. 朝日新聞社 (2020年8月27日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ 日本サッカー協会
- ^ “医療情報も「なでしこジャパン」のように 横浜で開幕、大会長の折井氏”. 日経クロステック. 日経BP (2016年11月22日). 2021年8月16日閲覧。