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斎藤樹

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斎藤樹

斎藤 樹(さいとう いつき、1888年明治21年)6月26日 - 1951年昭和26年)6月2日)は、日本内務官僚警視総監台湾総督府総務長官等歴任。貴族院議員

経歴

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斎藤宗吉の長男として長崎県に生まれ、斎藤倉吉の養子となる。本籍千葉県

旧制千葉中学を経て、1912年7月、第一高等学校を卒業。同年8月、千葉県大多喜中学教諭に就任するが、1914年(大正3年)8月に休職。同年9月、東京帝国大学法科大学に入学し、在学中の1916年(大正5年)10月に文官高等試験に合格。

1917年(大正6年)7月、東京帝大法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し銀時計を授与された。任書記官兼警察講習所教授。1930年(昭和5年)内務事務官地方局勤務、社会局書記官保険部監査課長、奈良、富山、埼玉、静岡各県知事歴任。

1937年(昭和12年)6月、警視総監に就任。1945年(昭和20年)2月24日、貴族院議員に勅選され[1]1946年(昭和21年)4月1日に辞職した[2]

人物像

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宗教日蓮宗[3]。趣味は短歌俳句ゴルフ[3]

栄典

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家族・親族

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斎藤家

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脚注

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  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、53頁。
  2. ^ 『官報』第5763号、昭和21年4月2日。
  3. ^ a b 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ五一頁より。
  4. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  5. ^ 『人事興信録. 第10版』(昭和9年)上巻サ七一

参考文献

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  • 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ五〇-五一頁。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房 2001年、442-457頁。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。


公職
先代
森岡二朗
日本の旗 台湾総督府総務長官
第16代:1940 - 1945
次代
成田一郎