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有楽座 (昭和)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有楽座
YURAKUZA
有楽座
地図
情報
正式名称 有楽座
完成 1935年
開館 1935年6月7日
開館公演 寿曾我三番
人間万事金世中
盲目の兄とその妹
シューベルトの戀
閉館 1984年11月11日
最終公演 風と共に去りぬ
収容人員 1,572人
設備 ドルビーステレオ
用途 映画上映
旧用途 演劇上演
運営 東宝株式会社
所在地 100
東京都千代田区有楽町1-2-2
位置 北緯35度40分23.1秒 東経139度45分35.7秒 / 北緯35.673083度 東経139.759917度 / 35.673083; 139.759917 (有楽座)座標: 北緯35度40分23.1秒 東経139度45分35.7秒 / 北緯35.673083度 東経139.759917度 / 35.673083; 139.759917 (有楽座)
最寄駅 営団地下鉄日比谷駅(A5出口)から徒歩約3分
国鉄有楽町駅(日比谷口)から徒歩約4分
特記事項 略歴
1935年:演劇の劇場として開場
1949年:映画上映開始
1951年:映画専門館となる
1984年:閉館
1987年:跡地に東宝日比谷ビルが完成
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有楽座(ゆうらくざ、YURAKUZA)は1935年6月7日から1984年11月11日まで東京都千代田区有楽町1-2-2にあった東宝が所有していた劇場・映画館

データ

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施設名 所在地 現況 観客定員数
有楽座 東京都千代田区有楽町1丁目2-2 東宝日比谷ビル 1,631席(1935年)[1]

1,572席(1984年)

歴史・概要

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1935年6月7日に創業者の小林一三が東京進出を目論んで東京宝塚劇場の他に余ったお金で日比谷映画劇場に続く株式会社東京宝塚劇場(後の東宝)直営の劇場として、初代「有楽座」が開館。オープン当日は東宝劇団の旗揚げ公演として『寿曾我三番』、『人間万事金世中』、『盲目の兄とその妹』、『シューベルトの戀』の4演目が上演された。

第二次世界大戦末期の1944年3月5日より一旦閉鎖された後、風船爆弾の製造工場として使われた。

空襲の際に至近弾を受けて廻り舞台装置が故障したため、復旧に時間を要したものの[2]1945年11月3日より再開場。1949年から演劇と並行して映画上映を開始し[1]1951年1月から映画館に完全転身[1]。70㎜の大画面映画等に対応し、座席数も東宝の常設映画館の中では最大だったが、1984年10月6日有楽町センタービル(有楽町マリオン)が完成。これに併せて老朽化と再開発を理由に同年11月11日に隣接した「日比谷映画劇場」(旧)と共に閉館。この日に合わせ『生まれて半世紀! さよならフェスティバル』と題した特別興行が行われ、『風と共に去りぬ』が最終上映作品となった。チェーンマスターの機能はTOHOシネマズ日劇を経てTOHOシネマズ日比谷へと引き継がれている。

建物は解体され、跡地は日比谷シャンテ&TOHOシネマズシャンテとなり現在に至る。

主な公演

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演劇

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映画

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脚注

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  1. ^ a b c "前野裕一「有楽町・日比谷映画街の映画館たち「㉕有楽座」」『キネマ旬報』第1771号、キネマ旬報社、2018年2月15日、240頁、2019年3月7日閲覧 
  2. ^ 東劇、帝劇、東宝など各劇場次々に再開(昭和20年9月10日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p14 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東編』 キネマ旬報社2010年
  4. ^ 増井p344
  5. ^ 増井p357
  6. ^ 増井p380
  7. ^ 増井p381

外部リンク

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