コンテンツにスキップ

朝海和夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝海 和夫(あさかい かずお、1943年(昭和18年) - )は日本外交官EU大使等を務めた。名誉法学博士アマースト大学2005年)。

人物

[編集]

栄光学園高等学校を経て、1962年(昭和37年)一橋大学商学部入学。マーケティング専攻。体育会空手部に所属。大学入学時には、公務員になるつもりはなかったが、大学在学中の1964年(昭和39年)に外務公務員上級試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省[1]。その後在外研修員としてアマースト大学卒業(政治学)。

外務省では大臣官房総務課首席事務官、北米二課長、安倍晋太郎外務大臣秘書官カナダ公使等を経て、第3回気候変動枠組条約締約国会議等を担当したのち[2]2000年(平成12年)4月国際貿易経済・地球環境問題担当大使に就任。2001年(平成13年)7月にボンで行われた気候変動枠組条約第6回締結国会議再開会合に日本政府代表として参加[3]。また2001年(平成13年)から日本初の自由貿易協定である日本・シンガポール経済連携協定の締結交渉の政府代表を務め、[4]自由民主党政務調査会農林水産物貿易調査会の意向を受け、農産物については、新たに関税を撤廃するものはないとの日本側の方針をシンガポールに伝えた[5]

親族

[編集]

朝海浩一郎(元駐アメリカ合衆国大使、元外務審議官)は父、出淵勝次(元駐アメリカ合衆国大使、元外務次官)は祖父、菊池武夫(元司法省民事局長、元東京弁護士会会長、中央大学創立者・初代学長)は曽祖父。妻は岡谷鋼機岡谷家岡谷康治の長女[6]

略歴

[編集]

同期

[編集]

論文等

[編集]
  • 「温暖化防止--外交の現場から(特集 持続可能な未来のビジョン) 」(学際(20)、2007年11月)
  • 「ヨハネスブルグ・サミットの成果と日本〔含 質疑応答〕」(世界経済評論46(11)(通号 567)、2002年11月)
  • 「座談会 地球温暖化防止交渉「次の一手」は何か」(中央公論115(13)(通号 1399)、2000年12月)
  • 「<インタビュー>予防・救援・復興--日本が取り組むべき3つの課題(特集 連動する難民と国連平和維持活動)」(外交フォーラム10(3)、1997年3月)

脚注

[編集]
  1. ^ 朝海和夫「東京商大の外交官」『一橋大学創立150年史準備室ニューズレター』第3巻、一橋大学創立150年史準備室、2017年3月、10-19頁、CRID 1390853649799808896doi:10.15057/da.13271hdl:10086/53271 
  2. ^ 朝日新聞, 2000年05月17日
  3. ^ 朝日新聞, 2001年(平成13年)07月28日
  4. ^ 2001/01/23, 日本経済新聞
  5. ^ 2001年9月6日, 朝日新聞
  6. ^ 秦郁彦『日本近現代人物履歴事典』(東京大学出版会
  7. ^ 春の叙勲毎日新聞2018年4月29日
先代
橋本宏
社団法人霞関会理事長
2011年-2013年
次代
大島正太郎
先代
高野幸二郎
外務省国際社会協力部長
1995年-1998年
次代
上田秀明