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本宿村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もとじゅくむら
本宿村
復元された旧本宿村役場
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 編入
本宿村、岩津町常磐村河合村藤川村、山中村、竜谷村福岡町 → 岡崎市
現在の自治体 岡崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
額田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 14.74 km2.
総人口 2,782
(1950年10月1日[1]
隣接自治体 額田郡山中村豊富村宝飯郡長沢村蒲郡市
本宿村役場
所在地 愛知県額田郡本宿村大字本宿字一里山39
座標 北緯34度53分32秒 東経137度15分39秒 / 北緯34.89233度 東経137.26075度 / 34.89233; 137.26075座標: 北緯34度53分32秒 東経137度15分39秒 / 北緯34.89233度 東経137.26075度 / 34.89233; 137.26075
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本宿村(もとじゅくむら)は、かつて愛知県額田郡にあったである。現在の岡崎市の東部に相当する。

沿革

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行政

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本宿村道路元標

歴代村長

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名前 就任日 退任日
富田代太郎 1889年11月13日 1893年11月12日
永井隈治 1893年11月13日 1894年12月20日
天野伴吉 1894年12月20日 1909年2月20日
鈴木市太郎 1909年2月20日 1911年6月10日
永井貞治 1911年9月10日 1921年2月
小野田藤兵衛 1921年4月2日 1926年3月
小早川博 1926年3月 1932年3月
永井貞治 1932年4月 1933年10月
神谷重治 1933年10月 1937年10月
鈴木与一郎 1937年10月 1942年8月
小早川博 1942年8月 1946年3月21日
倉橋松蔵 1946年3月22日 1947年4月
鈴木勇 1947年4月5日 1948年9月
酒井国次 1948年9月6日 1948年12月
太田亀吉 1948年12月21日 1952年12月
小早川博 1952年12月22日 1955年2月

出典は『新編 岡崎市史 20 総集編』[2]

本宿村役場

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1928年(昭和3年)、小早川博村長の時代に3代目本宿村役場が建てられ、岡崎市に編入される1955年(昭和30年)まで役場庁舎として使用された。

旧本宿村役場は2008年(平成20年)に解体されたが、保管部材を使用した復原工事が実施され、2022年(令和4年)4月に資料館「旧本宿村役場」が開館した[3][4]。岡崎市東部地域の歴史文化に関する展示がある。

交通

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本宿駅

鉄道

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道路

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教育

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岡崎市立本宿小学校

中学校

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小学校

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名所・旧跡

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法蔵寺
  • 法蔵寺
  • 金龍院
  • 菩提院
  • 本宿一里塚跡
  • 本宿陣屋跡
  • 近藤勇首塚
  • 宇都野龍碩邸跡 - 宇津野家は本宿村における医者の家系である[5]。18世紀中頃の3代目当主宇津野立碩は既に医者だった。4代目宇津野立泉、5代目宇津野立達(1775年~1848年)、6代目宇津野龍泉(1799年~1862年)、7代目宇都野龍碩(1818年~????年)、8代目宇津野龍山(1842年~1878年)、9代目宇津野弌(宇津野碩遵、1946年~1916年)と続いた[5]。7代目宇都野龍碩はシーボルトの弟子の蘭方医である青木周弼の弟子。

脚注

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  1. ^ 愛知県郡市町村勢要覧(愛知県総務部統計課 1951年10月刊行)
  2. ^ 新編岡崎市史編さん委員会『新編 岡崎市史 20 総集編』新編岡崎市史編集委員会、1993年、pp.609-610
  3. ^ 旧本宿村役場が開館します”. 岡崎市 (2022年3月25日). 2022年7月20日閲覧。
  4. ^ “14年前に解体の旧本宿村役場が復活 岡崎、昔の息吹伝える資料館に”. 中日新聞Web. (2022年4月14日). https://www.chunichi.co.jp/article/452801 2022年7月20日閲覧。 
  5. ^ a b 新編岡崎市史編さん委員会『新編 岡崎市史 20 総集編』新編岡崎市史編集委員会、1993年、pp.48-49

参考文献

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  • 新編岡崎市史編さん委員会『新編 岡崎市史 20 総集編』新編岡崎市史編集委員会、1993年

関連項目

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