コンテンツにスキップ

朽木綱条

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
朽木綱条
時代 江戸時代後期
生誕 享和元年10月17日1801年11月22日
死没 天保7年5月28日1836年7月11日
改名 鉄五郎(幼名)、綱条、正庵・格斎(法号)
戒名 宝鑑院殿格心全忠大居士
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
官位 従五位下隠岐守
幕府 江戸幕府奏者番
主君 徳川家斉
丹波福知山藩
氏族 朽木氏
父母 父:朽木倫綱、母:松平直紹の娘・千寿院
養父:朽木綱方
兄弟 綱徳板倉勝資正室、木下俊敦正室、綱条松平乗美正室
正室:松平輝延の娘
継室:松平定信の養女・宝琳院
牧野康哉継室、日下部輔寛室、半井広国室、雄、朽木綱美正室、朽木綱張養女
養子:綱張綱紀
テンプレートを表示

朽木 綱条(くつき つなえだ)は、丹波国福知山藩の第11代藩主。福知山藩朽木家12代。綱條とも記される。

生涯

[編集]

享和元年(1801年)10月17日、第9代藩主朽木倫綱の長男として生まれる。文化7年(1810年)6月19日、第10代藩主・朽木綱方の養子となる。佐藤一斎に師事するなど、早くから聡明だったといわれる。文化14年(1817年)4月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・隠岐守に叙任する。文政3年(1820年)6月6日、綱方の隠居により家督を継いだ。

文政6年(1823年)2月2日、大坂加番を命じられる。文政11年(1828年)9月1日、奏者番に就任する。要職を歴任して将来は老中にも期待されたが、これが出費を招き、さらに領内も凶作が相次いで財政に苦しんだといわれる。天保7年(1836年)5月28日に養父に先立って死去した。享年36。跡を養子の綱張が継いだ。

系譜

[編集]