杵村源次郎
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杵村 源次郎(きねむら げんじろう、生没年不詳)は日本の政治家、漢詩人。第五代米子町長。
経歴
[編集]明治22年(1889年)8月米子町会議員(一級)に当選[1]。
明治33年(1900年)12月26日から明治34年(1901年)9月21日まで米子町長をつとめた[2]。
人物像
[編集]杵村について、野坂寛治著『米子界隈』283頁によれば、「杵村町長は、学に凝って立派な分家の家産を傾け、漢詩に委(くわ)しく唐聖人が撫したアノ琴に堪能で、書に秀でていた。」という。
山陰歴史館には二張の七絃琴が所蔵されている[3]。一張は文人画家であった浦上玉堂による制作であり、またもう一張は米子在住の医師・国学者であった田代元春による制作である[3]。いずれもが杵村の旧蔵品である[3]。杵村は、漢詩結社を組織し、山陰の近代漢詩の興隆を支えた人物であり、自らは七絃琴の演奏を大阪の妻鹿友樵に教わっている[3]。