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松室敦子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松室 敦子(まつむろ あつこ、? - 1746年12月20日延享3年11月9日))は、霊元天皇後宮。父は非蔵人の松室重敦。母は杉山久左衛門の娘。猶父は岩倉乗具。出仕名は柏木・伊勢・右衛門佐局[1]秦敦子とも呼ばれる。

皇子の有栖川宮職仁親王尭恭法親王・皇女の吉子内親王の生母。

生涯

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1713年正徳3年)9月頃までには霊元天皇に出仕していたとみられる。1715年(正徳5年)5月9日に院御所中臈となり、右衛門佐局の名を賜る[2]

1746年延享3年)に死去[2]。法号は心観院。

脚注

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  1. ^ 「人物物故大年表日本人編」(日外アソシエーツ2005年
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社