林潤
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林 潤 はやし じゅん | |
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生年月日 | 1972年10月23日(52歳) |
出生地 | 東京都渋谷区 |
出身校 | 慶應義塾大学商学部 |
前職 | 毎日新聞記者 |
所属政党 |
(自由民主党→) (日本維新の会→) 自由民主党 |
公式サイト | 元衆議院議員 林じゅん オフィシャルホームページ |
選挙区 | 神奈川4区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2005年9月11日 - 2009年7月21日 |
林 潤(はやし じゅん、1972年10月23日- )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。東京都渋谷区出身で、祖父は文化勲章受章者で洋画家の林武である。
岡山市議会に日本共産党所属の同名議員が、福井県立大学に同名の生物学者などがいるがいずれも別人である。
選挙履歴
[編集]- 2003年11月 第43回衆議院議員総選挙(神奈川4区)で立候補(自由民主党公認)し落選。
- 2005年9月 第44回衆議院議員総選挙(神奈川4区)で立候補(自由民主党公認)し当選。
- 2009年8月 第45回衆議院議員総選挙(神奈川4区)で立候補(自由民主党公認)し落選。
- 2012年12月 第46回衆議院議員総選挙(和歌山1区)で立候補(日本維新の会公認)し落選。
- 2017年10月 第48回衆議院議員総選挙に比例四国ブロックに自由民主党から出馬。単独15位で出馬するも、落選。
人物
[編集]- 学習院幼稚園、学習院初等科、千代田区立麹町中学校、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。在学中は弁論部に所属。ゼミでは社会保障を専攻し、高齢化福祉や年金制度を学ぶ。
- 1995年、毎日新聞社東京本社に入社。北海道支社では警察・司法記者などを担当し、北海道拓殖銀行の破綻やトンネル崩落事故の関連取材に関わる。
- 2000年、政策集団宏池会による国政候補者公募試験に合格。
- 2001年10月に毎日新聞社を退職し、政治活動へ。2002年より2005年9月まで彩林堂画廊取締役副社長。
- 2003年の総選挙で、神奈川4区から自民党公認で立候補。無名の新人ながら75000票を獲得し(惜敗率83%)、比例復活まで約4000票に迫るも次点で及ばず。同区のある鎌倉市は実母の出身地で、本人は幼稚園入学まで育った。
- 2005年の総選挙では、12万票近くを獲得し小選挙区で当選。主に憲法調査会委員、厚生労働委員会委員、自民党青年局次長、自民党厚生団体副委員長、自民党報道局次長など歴任する。また、「子どもの犯罪防止対策PT」を立ち上げ、事務局次長に就任した。
- 2006年4月28日 - 伝統と創造の会の創設に参加し、副幹事長に就任。会のメンバーとともに女系天皇容認に反対し、4月28日を主権回復記念日と制定することや、憲法96条の改正条項を二分の一に緩和することなどを提言してきた。
- 2008年5月28日 - 「ゐ」や「ゑ」など旧仮名づかいの復活を目指す超党派議連「国語を考える国会議員懇談会」(国語議連)事務局長就任。会長は平沼赳夫衆議院議員。
- 2008年6月13日 - 自民党の若手国会議員でつくる「税金の無駄遣いを一円たりとも許さない若手の会」の代表幹事に就任。「無駄の徹底的排除」を行うための中間提言を発表した。提言の中では、議員定数の削減、特別会計の廃止、天下りの禁止、「無駄遣い取締官」の創設など盛り込まれた。
- 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自民党公認(公明党推薦[1])で再選を目指すが落選した(惜敗率71%)。
- 2010年1月 - 横浜市中区に「社会保障政策研究所」を立ち上げ、代表に就任。毎月一回、若手経営者を対象とした政経セミナーを開催し、自ら講師を務める。
- 2010年2月 - 「創生「日本」」の幹事に就任。
- 2010年9月 - 脳神経外科医の女性と再婚。[2]
- 2010年10月 - 自民党神奈川県第4選挙区支部長の辞職願を提出する。後任は山本朋広。
- 2010年以後 - 「国想う在野議員の会」の幹事に就任。CS217チャンネル桜の討論番組「日いづる国」(すぎやまこういちプロデュース)に定期出演している。
所属していた団体・議員連盟
[編集]- 日本会議国会議員懇談会
- 創生「日本」(幹事)
- 伝統と創造の会(副幹事長)
- 国語を考える国会議員懇談会(事務局長)
- 道州制型統治機構研究会
- 国想う在野議員の会(幹事)
- 税金の無駄遣いを一円たりとも許さない若手議員の会(代表幹事)
- 日米友好議員連盟
- 禁煙推進議員連盟
- 再チャレンジ支援議員連盟
- 83会