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森忠貫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
森忠貫
時代 江戸時代後期
生誕 文化13年閏8月13日1816年10月4日
死没 文政10年5月28日1827年6月22日
改名 勝蔵、忠貫
戒名 顕良院殿鶴山伯一童子
墓所 東京都港区東麻生の瑠璃光寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
播磨赤穂藩
氏族 森氏
父母 森忠敬
兄弟 忠貫正綽忠徳青木可寿新田貞時森可彝
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森 忠貫(もり ただつら)は、江戸時代後期の播磨国赤穂藩の(一人目の)10代藩主。赤穂藩森家実質16代。

略歴

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文化13年(1816年)閏8月13日、9代藩主・森忠敬の長男として誕生。幼名は勝蔵。父が文政7年(1824年)6月4日に死去したため、8月5日に家督を継いだ。文政9年(1826年)4月19日に江戸本所の御蔵火番に任じられた。

文政10年(1827年)5月28日に死去した。享年12。戒名は顕良院殿鶴山伯一童子。墓所は東京都港区東麻生の瑠璃光寺。

忠貫には継嗣が無く、改易や減封を恐れた藩では、弟の忠徳を身代わりにして立て、忠貫没後の6月に家督を継がせたとある。このため、忠貫は歴代藩主として数えられず、後に忠貫が忠徳と改名したとされているため、10代藩主の忠貫と忠徳は同一人物とされている(森家譜より)。

関連項目

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