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水戸八景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水戸八景の一つ「僊湖暮雪」碑の明治時代の様子(『常磐公園攬勝図誌』松平俊雄(1885年)より)

水戸八景(みとはっけい)は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が水戸藩領内の景勝地を「八景」の様式にならって8つを選んだ風景評価の一つ。及び斉昭作の同名の漢詩による詩吟詩舞の演目の一つ。

景勝地の概要

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徳川斉昭は水戸藩領内の景勝地として以下の8つを選んだ。選定の時期は天保4年(1833年)とするのが定説で、当初は「常陸八景」と呼んでいた。北宋士大夫である宋迪が創始した瀟湘八景に倣って選ばれたと考えられ、選定過程は斉昭自ら領内を巡り、かつ、複数の者から候補地の提案を受け選んだようである。提案の中では江戸駒込大乗寺住職であり、かつ久昌寺の僧でもあった、日華の案が多く取り入れられたとされる。景勝地の場所には斉昭自筆の隷書の銘を刻んだ碑が置かれている。八景の設定において斉昭には景観を楽しむだけではなく、藩子弟の心身鍛錬のために、各碑を徒歩で巡らせる企図もあったとされる。『水戸名勝誌』では、八景めぐりの順番は青柳→太田→山寺→村松→水門→巌船→広浦→僊湖の順であげ距離は、“二十里に余れり”、としている。『水戸八景碑:史跡めぐり』では現代の道路事情下で自動車で巡った場合の順路として、青柳→山寺→太田→村松→水門→巌船→広浦→僊湖をあげ、その行程で約87 km、僊湖から青柳まで戻る一周する行程で約90-91 kmとしている[1][2][3][4][5][6][7][8][9]

八景の一覧

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地図
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Maps: terms of use
5 km
8
7
6
5
4
3
2
1
水戸八景の位置
1
青柳夜雨
2
太田落雁
3
山寺晩鐘
4
村松晴嵐
5
水門帰帆
6
巌船夕照
7
広浦秋月
8
僊湖暮雪
青柳夜雨 北緯36度23分19秒 東経140度28分31秒 / 北緯36.38858度 東経140.47533度 / 36.38858; 140.47533 (水戸八景「青柳夜雨」碑)
読み:あおやぎのやう
碑のある場所:水戸市青柳町、鹿島香取神社境内南の那珂川堤防の木の下。
碑の形状等:横120 cm、縦103 cmの黒灰色の自然石。
かつては川岸に柳が植えられていたこの地からは那珂川を渡る渡し船、那珂川越しの水戸の城下町などの眺望があった。
太田落雁 北緯36度32分48秒 東経140度31分25秒 / 北緯36.54680度 東経140.52372度 / 36.54680; 140.52372 (水戸八景「太田落雁」碑)
読み:おおたのらくがん
碑のある場所:常陸太田市栄町、東崖の展望台。
碑の形状等:横140 cm、縦170 cm花崗岩で赤味を帯びている。
かつては、この地域には真弓千石と呼ばれた水田が広がっており、眼下に水田、遠く先に阿武隈山地の眺望があった[10]
山寺晩鐘 北緯36度32分08秒 東経140度31分02秒 / 北緯36.53551度 東経140.51730度 / 36.53551; 140.51730 (水戸八景「山寺晩鐘」碑)
読み:やまでらのばんしょう
碑のある場所:常陸太田市稲木、西山研修所内東端。
碑の形状:横87 cm、縦220 cmの黒灰色の大理石
この地は旧久昌寺の付属施設「三昧堂檀林」があった場所であり、近隣には佐竹寺、白鳥寺などの寺院があった[11]
村松晴嵐 北緯36度27分05秒 東経140度35分54秒 / 北緯36.45127度 東経140.59844度 / 36.45127; 140.59844 (水戸八景「村松晴嵐」碑)
読み:むらまつのせいらん
碑のある場所:那珂郡東海村村松、村松虚空蔵尊裏手の砂丘
碑の形状等:横95 cm、縦90 cmの黒褐色の自然石。
かつては、この地から太平洋を見ることができた。「村松晴嵐」の碑は東海村の指定文化財(記念物)である[12]
水門帰帆 北緯36度20分37秒 東経140度36分00秒 / 北緯36.34355度 東経140.60013度 / 36.34355; 140.60013 (水戸八景「水門帰帆」碑)
読み:みなとのきはん
碑のある場所:ひたちなか市和田町、ひたちなか市役所那珂湊総合支所(旧那珂湊市役所)裏手。
碑の形状等:横120 cm、縦214 cmの大理石。
この地域は古くから"湊"と呼ばれ[13]、"水門"は"湊"をもじったものである。この地は高台にあり、那珂湊漁港を見下ろす眺望があった。「水門帰帆」碑の横に、明治期の「水門帰帆」碑改修記念碑と藤田東湖七言絶句を刻んだ碑がある。「水門帰帆」はひたちなか市指定文化財(名勝)である[14]
巌船夕照 北緯36度20分07秒 東経140度34分59秒 / 北緯36.33538度 東経140.58316度 / 36.33538; 140.58316 (水戸八景「巌船夕照」碑)
読み:いわふねのゆうしょう、いわふねのせきしょう
碑のある場所:東茨城郡大洗町祝町、願入寺裏の西側。
碑の形状等:横170 cm、縦148 cmの大理石。
涸沼川と那珂川の合流地点で、周辺に水田、西に筑波山加波山の眺望があった。"巌"は資料によって"岩"とも表記される[15]
広浦秋月 北緯36度17分06秒 東経140度31分15秒 / 北緯36.28511度 東経140.52088度 / 36.28511; 140.52088 (水戸八景「広浦秋月」碑)
読み:ひろうらのしゅうげつ
碑のある場所:東茨城郡茨城町下石崎涸沼湖畔キャンプ場湖岸。
碑の形状等:横70 cm、縦263 cmの黒灰色の自然石。
"広浦"は、当時の地元民による涸沼の呼称である[16][注釈 1]。かってこの地は砂州であり、周囲には老が茂っており、涸沼の湖面、西に筑波山の眺望があった。「広浦秋月」碑の横に、水戸八景選定経過等を記した副碑「保勝碑」が1基建立されている。「広浦」は茨城県指定文化財(名勝)である[17]。"広"は資料によって"廣"とも表記される。
僊湖暮雪 北緯36度22分25秒 東経140度27分13秒 / 北緯36.37352度 東経140.45363度 / 36.37352; 140.45363 (水戸八景「僊湖暮雪」碑)
読み:せんこのぼせつ
碑のある場所:水戸市常磐町、偕楽園南崖。
碑の形状等:横119 cm、縦128 cmの自然石。
"僊湖"は水戸市の千波湖のこと。"僊"は資料によって"仙"、"千"とも表記される。

現代での水戸八景を巡る動き

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水戸市は1996年平成8年)に新水戸八景として市内8つの場所を選んだことを発表した。これは斉昭の水戸八景と絡めた事業であり、水戸八景の景勝地の内、青柳夜雨と僊湖暮雪の2つしか水戸市内に無いことから、新たに水戸市内からの景勝地を選ぼうとしたことが新水戸八景制定の理由のひとつである[18][19][20]

水戸八景を観光資源として活用する動きもある。水戸市は平成27年度から平成35年度間の観光計画の中で周辺市町村との広域連携による観光の推進を掲げ、具体的な事業として水戸八景を活用した周遊型観光イベントの実施をあげている。2016年3月26日には水戸観光協会主催で、複数の市町村に点在する水戸八景をサイクリングで巡りつつ、景色と地域の食を楽しむグルメライドが開催されている[21][22]

詩吟『水戸八景』

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斉昭及びその家臣は水戸八景を題材に漢詩和歌の創作を行っているが、詩吟『水戸八景』はそれらの作品の内、斉昭が作った次の七言律詩の漢詩『水戸八景』を吟じたものである。

雪時嘗賞僊湖景 (雪時嘗て賞す僊湖の景)
雨夜更遊青柳頭 (雨夜更に遊ぶ青柳の頭)
山寺晩鐘響幽壑 (山寺の晩鐘は幽壑に響き)
太田落雁渡芳洲 (太田の落雁は芳洲を渡る)
霞光爛漫巌船夕 (霞光爛漫たり巌船の夕)
月色玲瓏廣浦秋 (月色玲瓏たり廣浦の秋)
遥望村松晴嵐後 (遥かに望む村松晴嵐の後)
水門帰帆映高樓 (水門の帰帆は高樓に映ず)

— 徳川斉昭、『水戸烈公詩歌文集』pp.236-237.

韻は下平声十一尤韻である。吟詠による読みについて、吟詠の統一教本とする『吟剣詩舞道漢詩集』においては第二句の“雨夜”は“雨の夜(あめのよる)”と、第四句の“山寺”は“やまでら”と読むとしている。日本吟剣詩舞振興会主催の少壮コンクールでの指定吟に採択された事例がある演目である[23][24]

詩舞『水戸八景』

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詩舞『水戸八景』は『水戸八景』の吟詠に併せ、8つの情景を扇子などを使用し表現する詩舞、又は扇舞である。吟剣詩舞界においては日本吟剣詩舞振興会の各種コンクールでの指定吟題に採用等されている演目である[25][26][27][注釈 2]

1974年(昭和49年)に茨城県で開催された第29回国民体育大会の秋季大会開会式(開催日=10月20日/場所=笠松運動公園)の場内レクリェーションでは、『水戸八景』が当時の茨城県知事岩上二郎の吟詠、水戸市立第二中学校生徒460名による舞により演じられた。この演技は当時水戸二中で振りを指導した教員により水戸市立第三中学校に伝えられ、現在まで水戸三中の体育祭で演じられている[28][29]

この水戸三中での演技経験者を複数の高校から集めて、茨城県高等学校文化連盟吟詠剣詩舞部が作られた。チームは水府流吟道会の指導のもと、2012年(平成24年)に富山県で開催された全国高等学校総合文化祭吟詠剣詩舞部門に茨城県勢として初参加し、詩舞『水戸八景』を演じた。茨城チームは以後、総文祭に毎年参加し『水戸八景』を含んだ構成吟を演じている[30][31][32][33][34]

その他

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注釈

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  1. ^ 『水府志料』を収載している『茨城県史料』近世地誌編での記述箇所はp.262である。
  2. ^ 出典の『吟剣詩舞』17巻1号は昭和62年度群舞コンクール指定吟題の、22巻5号は平成4年度剣舞コンクールの指定吟題の、36巻12号は平成19年度全国剣詩舞コンクール指定吟題(群舞)の解説として載せられている。

出典

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  1. ^ 瀧 1911, pp. 38–44.
  2. ^ 但野 1997.
  3. ^ 堀口 1991.
  4. ^ ひたちなか市史編さん委員会 2008, pp. 588–599.
  5. ^ 佐藤 2004.
  6. ^ 佐藤 2005.
  7. ^ 佐藤 2006.
  8. ^ 但野 2008.
  9. ^ 【文化財講座】水戸八景講座”. 茨城県ひたちなか市公式ホームページ. 茨城県ひたちなか市 文化財室. 2015年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月17日閲覧。
  10. ^ 太田落雁”. 常陸太田市公式ホームページ. 常陸太田市. 2016年6月15日閲覧。
  11. ^ 山寺晩鐘の碑”. 常陸太田市公式ホームページ. 常陸太田市. 2016年5月19日閲覧。
  12. ^ 東海村教育委員会『東海村教育の概要 平成27年度』(PDF)東海村、2015年5月、46頁https://www.vill.tokai.ibaraki.jp/manage/contents/upload/55ee954321dc4.pdf2016年6月14日閲覧 
  13. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 8(茨城県)、角川書店、1983年12月、899頁。全国書誌番号:84010171 
  14. ^ ひたちなか市の文化財の紹介”. ひたちなか市公式ホームページ. ひたちなか市. 2016年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月13日閲覧。
  15. ^ 巖船の夕照 (いわふねのせきしょう)”. 大洗町公式ホームページ. ひたちなか市. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月13日閲覧。
  16. ^ 小宮山楓軒『水府志料』。 
  17. ^ いばらきの文化財>いばらきの文化財一覧(県指定>県指定文化財 名勝>広浦”. 茨城県教育委員会公式ホームページ. 茨城県教育委員会. 2014年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月13日閲覧。
  18. ^ 「「新水戸八景」が決定 偕楽園や芸術館、備前堀」『茨城新聞』茨城新聞社、1996年3月9日、17面。
  19. ^ 水戸市「誕生しました新水戸八景」『広報みと』、水戸市、1996年4月4日。 
  20. ^ 水戸八景・新水戸八景”. 水戸観光協会公式ホームページ. 水戸観光協会. 2016年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月15日閲覧。
  21. ^ 水戸市産業経済部観光課『水戸市観光基本計画(第3次)』(PDF)水戸市、2015年、61-62頁。オリジナルの2015年12月11日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20151211104931/https://www.city.mito.lg.jp/001486/001500/p015040_d/fil/mitoshikankoukihonkeikaku.pdf 
  22. ^ 新着情報・お知らせ-「水戸八景グルメライド」開催!”. 水戸観光協会公式ホームページ. 2016年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月7日閲覧。
  23. ^ 日本吟剣詩舞振興会、吟詠教本刊行委員会 1980.
  24. ^ 月刊「吟剣詩舞」2002年3月号-第三十一回少壮コンクール指定吟題”. 日本財団図書館(電子図書館). 日本財団. 2016年6月5日閲覧。
  25. ^ 井川健「月夜荒城の曲を聞く、水戸八景、春望(続・剣詩舞の表現(1))」『吟剣詩舞』第17巻第1号、日本吟剣詩舞振興会、1987年1月、29-30頁。 
  26. ^ 井川健「剣舞(群舞)「加波山詠詩」詩舞(群舞)「水戸八景」('92剣詩舞の研究(九))」『吟剣詩舞』第22巻第5号、日本吟剣詩舞振興会、1992年5月、28-29頁。 
  27. ^ 石川 2006.
  28. ^ 第29回国民体育大会茨城県実行委員会事務局 編『第29回国民体育大会報告書』第29回国民体育大会茨城県実行委員会、1975年、128頁。全国書誌番号:71018275 
  29. ^ 袴姿で「水戸八景」水戸三中体育祭」『茨城新聞』2014年9月9日、19面。2016年6月5日閲覧。
  30. ^ 輝く人 第7回 日本伝統の美を吟じ舞う 茨城県高等学校文化連盟吟詠剣詩舞部の皆さん」(PDF)『広報みと』2012年9月15日、11頁、 オリジナルの2016年8月16日時点におけるアーカイブ。 
  31. ^ 第36回全国高等学総合文化祭富山県実行委員会事務局 編『第36回全国高等学校総合文化祭富山大会記録集』第36回全国高等学総合文化祭富山県実行委員会事務局、2013年2月、79頁。 
  32. ^ 第37回高総文祭長崎大会へ出場しました(2013/8/5)”. いばらき総文2014~吟詠剣詩舞部. 茨城県教育委員会. 2014年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月3日閲覧。
  33. ^ 第38回全国高等学校文化祭茨城県実行委員会事務局 編『第38回全国高等学校文化祭 いばらき総文2014 吟詠剣詩舞部門プログラム』第38回全国高等学校文化祭茨城県実行委員会事務局、2014年、56-58頁。 
  34. ^ 第39回全校高等学校総合文化祭2015滋賀びわこ総文吟詠剣詩舞部門実施要領” (PDF). 2015滋賀 びわこ総文公式ホームページ. 2016年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月7日閲覧。
  35. ^ 国立療養所晴嵐荘病院創立50周年記念誌編集委員会 編『年輪 国立療養所晴嵐荘病院50周年記念誌』国立療養所晴嵐荘病院創立50周年記念誌編集委員会、1985年10月、口絵。 

参考文献

[編集]
  • 石川健次郎「剣舞「獄中感有り」詩舞「水戸八景」('07剣詩舞の研究(九))」『吟剣詩舞』第36巻第12号、日本吟剣詩舞振興会、2006年12月、16-18頁。 
  • 佐藤次男「水戸八景覚書(一)」『郷土文化』第45巻、茨城県郷土文化研究会、2004年3月、142-153頁。 
  • 佐藤次男「水戸八景覚書(二)」『郷土文化』第46巻、茨城県郷土文化研究会、2005年3月、163-173頁。 
  • 佐藤次男「水戸八景覚書(三)」『郷土文化』第47巻、茨城県郷土文化研究会、2006年3月、114-128頁。 
  • 瀧興治『水戸名勝誌』(3版)台水書院、1911年。doi:10.11501/764424NCID BA30242691NDLJP:764424 
  • 但野正弘『水戸八景碑 史跡めぐり』水戸史学会、1997年8月。ISBN 4-7646-0244-X 
  • 但野正弘「水戸八景【八景の分布と最近の研究動向】」『国立環境研究所研究報告』第197巻、茨城県郷土文化研究会、2008年、78-83頁、ISSN 1341-3643 
  • 堀口友一『水戸八景』崙書房、1991年5月。 
  • ひたちなか市史編さん委員会 編「第12章:恵まれた自然環境と生活・文化 第1節:海浜風景の鑑賞と行楽 水戸八景と湊八景」『那珂湊市史』 近世、ひたちなか市教育委員会、2008年3月、588-599頁。全国書誌番号:21478281 
  • 日本吟剣詩舞振興会、吟詠教本刊行委員会「水戸八景」『吟剣詩舞道漢詩集』 律詩・古詩編、日本吟剣詩舞振興会、1980年、154-157頁。 

関連文献

[編集]
  • 金砂大田楽研究会・歴史の道グループ 編著「第4章:水戸八景をめぐる道」『常陸国歴史の道を歩こう』金砂大田楽研究会、2015年3月、146-157頁。全国書誌番号:22629204 
  • 茨城町史編さん委員会 編「2:各節 39:下石崎 水戸八景広浦の秋月」『茨城町史』 地誌編、茨城町、1993年3月、450-451頁。全国書誌番号:95025537 
  • 東海村史編さん委員会 編「第5章:水戸藩の天保改革 第1節:水戸藩の天保改革と村-水戸八景の選定」『東海村史』 通史編、東海村、1992年10月、436-437頁。全国書誌番号:93029472 
  • 常陸太田市史編さん委員会 編「第4編:近世 第6章:天保の改革と益習館-斉昭の就藩と水戸八景」『常陸太田市史』 通史編 上、常陸太田市、1984年3月、1152-1157頁。全国書誌番号:85013813 

詩吟、詩舞についての文献(録音資料含む)

外部リンク

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全ての座標を示した地図 - OSM
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