水谷川家
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水谷川家 | |
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本姓 | 藤原北家近衛庶流 |
家祖 | 水谷川忠起 |
種別 | 華族(奈良華族、男爵) |
出身地 | 大和国 |
主な根拠地 |
大和国 東京府 東京都 |
著名な人物 |
水谷川忠麿 水谷川忠俊 水谷川陽子 水谷川優子 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
水谷川家(みやがわけ)は、藤原北家近衛庶流の華族(奈良華族)である。左大臣近衛忠熙の八男・水谷川忠起を祖とする。
家の歴史
[編集]家の始まりから華族制度廃止まで
[編集]忠起は興福寺一乗院門跡、大僧正で応昭を名乗っていたが、明治2年(1869年)の勅令により還俗して、華族令によって男爵を授けられた[1]。1895年(明治28年)、「水谷川」の家名を賜わり、春日大社宮司となる。忠麿は、近衛篤麿の四男。忠起の養子(なお、忠起には長男忠順がおり、森本六兵衛の養子となっている[2])となり男爵位を継ぐ。忠麿は西園寺公望の秘書や貴族院議員を務めた。
戦後
[編集]忠麿は戦後、春日大社宮司を務めた。忠俊は、作曲家、雅楽研究家。近衛秀麿の次男として生まれる。初名は近衛俊健。叔父の忠麿の養子となり忠俊に改名。スペイン、ドイツに留学し作曲家となる。長女・陽子はヴァイオリニスト、次女・優子はチェリスト[3]。
系譜
[編集]- 実線は実子、点線は養子。
近衛忠熙 | |||||||||||||||||||||||||||||||
近衛忠房 | 水谷川忠起 | ||||||||||||||||||||||||||||||
近衛篤麿 | 森本忠順 | ||||||||||||||||||||||||||||||
近衛文麿 | 近衛秀麿 | 近衛直麿 | 水谷川忠麿 | ||||||||||||||||||||||||||||
山本斐子[4] | 近衛秀健[5] | 水谷川忠俊 | |||||||||||||||||||||||||||||
近衛一 | 水谷川陽子 | 水谷川優子 | |||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
外部リンク
[編集]- 公卿類別譜(公家の歴史)水谷川 - ウェイバックマシン(2016年1月21日アーカイブ分)
- 水谷川家 - (世界帝王辞典)
- 水谷川家