津田正盛
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正11年(1583年) |
死没 | 寛文元年4月30日(1661年5月28日) |
改名 | 新十郎、三入 |
戒名 | 三入 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 豊臣秀吉→徳川家康→松平忠吉→徳川義直 |
藩 | 尾張藩士(尾張衆) |
氏族 | 岩倉織田氏→津田氏 |
父母 | 父:織田信安 |
兄弟 | 織田信賢、織田信家、正盛、剛可正仲、女子二人 |
子 |
信明 養子:正方 |
津田 正盛(つだ まさもり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士・尾張藩士。家紋は織田木瓜。
略歴
[編集]文禄3年(1594年)、徳川家康に初御目見後、大坂へ向かい豊臣秀吉に仕える(610石)。秀吉死去以後は家康に召し出され、関ヶ原の戦いでは東軍に従軍する。その後、松平忠吉附属となる。忠吉の尾張国清洲入府の際、先方案内したうちの一人である。清洲越しの後、大坂冬の陣・夏の陣に従軍した。徳川義直へ年頭拝謁の時、織田家の古家であることから必ず附家老成瀬氏、竹腰氏よりも先の待遇であった。
嫡子がなく、兼松正成の次男の正方を養嗣子にし、隠居する。隠居後に実子の信明が生まれ、津田家を実子相続させる願いを残す。
寛文元年(1661年)4月30日病没。享年79。正方が家督相続するが、正方の死後、願い通り実子の信明が家督相続し、織田家の血筋が続くことになる。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『士林泝洄』
- 『藩士名寄』