浅野忠綏
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 元禄15年9月27日(1702年11月16日) |
死没 | 宝暦8年2月22日(1758年3月31日) |
別名 | 通称:甲斐 |
墓所 | 広島県三原市本町妙正寺 |
主君 | 浅野吉長→宗恒 |
藩 | 安芸広島藩家老 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 | 父:浅野忠義 |
兄弟 | 忠綏、忠正 |
子 | 忠晨、忠愛、高景 |
浅野 忠綏(あさの ただやす)は、江戸時代中期の安芸国広島藩の家老。三原浅野家第5代。
略歴
[編集]元禄15年(1702年)9月27日、三原浅野家第4代忠義の次男として安芸広島に生まれる。享保15年(1730年)1月10日、忠義が死去したため、2月1日に家督を相続した。
享保17年(1732年)の享保の大飢饉の際に、三原領内でも餓死者を約200人出し、領民のために城から救い米を拠出した。12月、藩主浅野吉長の左少将任官の謝恩使となる。
宝暦8年(1758年)2月22日、広島で死去、享年57。菩提寺の妙正寺に葬られた。長男の忠晨が家督を相続した。