淡道国造
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淡道国造(あわじのくにのみやつこ・あわじこくぞう)は、淡道国を支配した国造。
概要
[編集]祖先
[編集]氏族
[編集]波多門部氏(はたのかどべうじ、姓は造)。久米氏出身で、同族に大伯国造、天草国造、久味国造、吉備中県国造、阿武国造がある。『新撰姓氏録』右京神別にも「神魂十三世孫意冨支閇公」が波多門部造の祖と見える。
本拠
[編集]支配領域
[編集]国造の支配領域は当時淡道国と呼ばれた地域、後の令制国の淡路国、現在の兵庫県淡路島に相当する。 淡路島は神代の国産みの神話で最初に生まれた島とされ、地名の由来は、『日本書紀』では伊弉諾命が島の誕生を不快として胞とし「淡路洲」と名付けたとあり、『釈日本紀』は、思いのほか小島だったため胞として児の数に入れず、深く恥じた故に「吾恥」としたと解している。本居宣長は『古事記伝』では、阿波へ渡る海原にある島だからとしているが国生みの順番も、淡路島の地勢も無視している。また、淡路は古くからヤマト王権との結びつきが強く、伝承では食物を献ずる御食国であったとされる。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 加藤謙吉 他・編『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4、728頁