渡辺勘十郎
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渡辺 勘十郎(わたなべ かんじゅうろう、元治元年10月17日[1](1864年11月16日) - 大正15年(1926年)10月4日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。星亨の門下[3]。
経歴
[編集]豊前国宇佐郡柳ヶ浦村(現在の大分県宇佐市)に今井紋平の四男として生まれ、渡辺久太郎の養子となった[1][4]。星亨の書生を経て、1889年(明治22年)に英吉利法律学校(現在の中央大学)を卒業し、渡米[1]。サンフランシスコで日本人愛国同盟を組織し、帰国後に殖民協会を設立し、移民事業に従事した[4]。1900年(明治33年)に自由通信社を組織し[1]、1902年(明治35年)には赤坂区会議員に選出された[4]。1905年(明治38年)、東京市助役に就任した[4]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
1910年(明治43年)、再び東京市に入って収入役を務めた[4]。その他、京成電気軌道株式会社監査役を務めた[2]。
出典
[編集]- ^ a b c d 大正名家録 1915.
- ^ a b 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ 有磯逸郎 「移民界の活動者」 『商業界』 3(6)ブラジル移民の100年、国立国会図書館
- ^ a b c d e 大正東京府市名鑑 1914.
参考文献
[編集]- 『大正東京府市名鑑』大正東京府市名鑑編纂会、1914年。
- 『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。