牧野茂 (軍人)
牧野 茂(まきの しげる、1902年(明治35年)8月9日 - 1996年(平成8年)8月30日)は、日本の海軍軍人、造船技師。東京帝国大学卒業。最終階級は海軍技術大佐。愛知県名古屋市出身。
経歴
[編集]1902年(明治35年)8月9日生まれ。愛知県名古屋市出身。東京府立第一中学校、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)、東京帝国大学工学部船舶工学科に入学[1]。大正11年7月、海軍造船学生[1]。1925年(大正14年)3月、東京帝国大学を卒業(工学士)[1]。
大正14年5月、海軍造船中尉に任官、横須賀鎮守府付[1]。1927年(昭和2年)12月に海軍造船大尉に進級し、1931年(昭和6年)12月から1934年(昭和9年)12月までフランスに駐在し(フランス国立造船大学〈シェルブール〉)、その間の1932年(昭和7年)12月に海軍造船少佐に進級[1]。
1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)まで呉海軍工廠造船部設計主任。この間、戦艦「大和」の建造に携わる。牧野は大和型の設計・その後の改良を怠った事で大和、武蔵の喪失に繋がった事を後悔していたと言われる。
1937年(昭和12年) イギリス国王ジョージ6世の戴冠記念観艦式に参列。
1945年(昭和20年) 終戦。海軍技術大佐、海軍艦政本部第4部設計主任だった。その後、公職追放となる[2]。
1954年(昭和29年) 船舶設計協会常務理事、国際船舶工務所社長に就任。
海上自衛隊警備艦を設計。
1955年(昭和30年) 海上保安庁灯台補給船『宗谷』の南極観測船への改造設計を依頼される。
のちに、防衛庁技術研究本部嘱託、三菱重工業船舶事業本部顧問、国際電信電話(KDD)嘱託、電電公社嘱託などを勤め、船舶等の造修業務を行う。
1996年(平成8年) 没。享年94。
著書
[編集]- 「牧野茂艦船ノート」(出版協同社、1987年) ISBN 978-4879700452
- 「海軍造船技術概要」(福井静夫と共著)(今日の話題社、1987年)、ISBN 978-4875652052
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2版)東京大学出版会、2005年。ISBN 4-13-030135-7。