田尾健二郎
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田尾 健二郎(たお けんじろう、1944年2月21日 - )は、日本の裁判官。千葉地方裁判所所長、東京高等裁判所部総括判事、高松高等裁判所長官、広島高等裁判所長官、国家公安委員会委員を歴任。
主な担当事件
[編集]- 東京地方裁判所判事時代の1997年4月14日、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮﨑勤被告に判決言い渡し。死刑事件の場合は、判決言い渡しの最後に主文を言うことが慣例だが、このときは冒頭に述べた。
- 東京高等裁判所では、松文館裁判控訴審の判決で、一審に引き続き被告人の有罪を言い渡したが、量刑についてはやや軽くした。
- 同じ東京高等裁判所で2005年3月29日、三島女子短大生焼殺事件の控訴審判決で、一審の無期懲役を破棄し、被告人に死刑を言い渡した。
寺西和史との論争
[編集]1997年当時、通信傍受法案(盗聴法案)が与党内で協議中であった。同年10月2日付『朝日新聞』読者欄に、寺西和史判事補(当時、旭川地方裁判所)の投書「信頼できない盗聴令状審査」が掲載された。内容は、裁判官による令状審査は「ほとんど、検察官、警察官の言いなりに発付されているというのが現実」であり、令状審査は盗聴の乱用の歯止めにはならないというものだった。
これに対し、田尾は「我々裁判官の令状実務の実態からはほど遠いばかりか、深夜、早朝を問わず真面目にこの仕事に取り組んでいる裁判官、裁判所職員に対する重大な侮辱以外の何ものでもない」(10月8日付「事実に反する令状言いなり」)と反論を投稿した。寺西は「国民の裁判官、ひいては裁判所に対する信頼を損なわせるおそれ」を理由に厳重注意処分を受けた。
ただし、田尾は通信傍受法案の立案に係わっており、いわば直接の当事者であったが[1]、このことは投書では明かしていない。
略歴
[編集]- 1962年 香川県立丸亀高等学校卒業
- 1965年 司法試験合格
- 1966年
- 1968年 東京地方裁判所判事補
- 1971年 青森地方裁判所八戸支部判事補
- 1974年 東京地方裁判所判事補兼東京高等裁判所判事職務代行
- 1977年 高知地方・家庭裁判所判事補
- 1978年 高知地方・家庭裁判所判事
- 1981年 高松地方・家庭裁判所判事兼高松高等裁判所判事職務代行
- 1984年 東京地方裁判所判事
- 1987年 高松高等裁判所判事
- 1988年 高松高等裁判所事務局長
- 1993年 東京高等裁判所判事
- 1994年 東京地方裁判所判事部総括
- 2002年 千葉地方裁判所所長
- 2003年 東京高等裁判所判事部総括
- 2005年12月 高松高等裁判所長官
- 2007年
- 2012年12月18日 任期満了により退任
脚注
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