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盧文弨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

盧 文弨(ろ ぶんしょう、1717年 - 1795年)は、考証学者。漢籍の校勘と出版で知られる。

を召弓(または紹弓[1])という。室名抱経堂(ほうけいどう)といい[2]、『抱経堂叢書』が有名である。

なお、よく似た名前の「抱経楼」(ほうけいろう)は盧文弨の親戚にあたる盧址中国語版の室名。

生涯

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盧文弨の原籍は紹興府余姚県であるが、先祖のときに杭州府仁和県に移住した[1]。1752年に探花の成績で進士に及第した[1]翰林院編集・侍読学士・湖南学政などを歴任したが、1768年に官を辞し、江浙各地の書院で教えた。

盧文弨は同時代の戴震段玉裁と交流を持った。多くの書籍を収集・校勘・出版したために、学者に裨益することが大であった。

日本から輸入された山井鼎『七経孟子考文』を読んで驚嘆し[3]、それに刺激されて『十三経注疏』の校勘を行った。盧文弨の没後、阮元はその志をついで『十三経注疏』を重刻し、校勘記を作成した[4]

著作

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自らが校訂した漢籍を出版した『抱経堂叢書』263巻がよく知られる。『経典釈文』『逸周書』『白虎通』『方言』『荀子』『新書』『春秋繁露』『顔氏家訓』『西京雑記』『独断』などを含む。

以下の書物も『抱経堂叢書』に含まれる。

  • 『群書拾補』初編(39巻)は、諸書に引用されている古書の文章(異文・佚文)を集めたもの。
  • 『抱経堂文集』(34巻)は、盧文弨による序跋・書簡などの文集。

脚注

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  1. ^ a b c 段玉裁翰林院侍読学士盧公墓誌銘」『経韻楼集』 巻8https://archive.org/stream/02102826.cn#page/n52/mode/2up 
  2. ^ 韓愈寄盧仝詩「春秋三伝束高閣、独抱遺経究終始」にもとづく。盧文弨と盧仝の間に関係があるかは不明
  3. ^ 周易注疏輯正題辞」『抱経堂文集』 巻7、1781年https://archive.org/stream/02102761.cn#page/n40/mode/2up。「乾隆己亥(=1779年)友人示余日本国人山井鼎所為『七経孟子考文』一書、歎彼海外小邦猶有能読書者」 
  4. ^ 高橋 (1996) p.112,120

参考文献

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外部リンク

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