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秋川リサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秋川 リサ(あきかわ リサ、1952年5月12日 - )は、日本ビーズ作家女優ファッションモデルタレント。株式会社グリーンメディア所属。身長169cm。身長172cm(1975年7月)[1]。身長173cm(1974年1月)[2]、B86cm、W60cm、H90cm(1974年1月)[2]。血液型はB型[3]。1男、1女あり。元女優の伊藤麻里也は娘[3]

来歴

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東京都渋谷区笹塚出身[2]。父親がドイツ系アメリカ人アメリカ軍[4]で母親が日本人母子家庭で育つ[4]文化学院高等部英語科卒業[2][3]

1967年、15歳でテイジンモデルとしてデビュー[5]。16歳でファッション月刊誌『服装』の専属モデルを2年間務めた。

17歳で資生堂専属モデルとなり以降4年間務める。高校時代に資生堂夏のキャンペーンのタヒチロケの撮影で1か月間学校を休んだため、帰国後学校からの厳しいペナルティを覚悟したが、特例で学校に残れるように配慮を受けた。しかし資生堂と繊維会社との専属契約をすませていたため、アルバイトOKの高校に転入した[6]。高校を卒業した日に、篠山紀信ヌード写真を撮影してもらったが[7]、当時は専属モデル契約の関係上、発表できず、子どもが成人した2009年に公開された[7]

1970年、『anan』のレギュラーモデルとして活躍し、その名前が広く知られる。また、初代テイジン水着キャンペーンガールに選ばれ、1973年まで3年間務める。1972年三宅一生ニューヨーク・コレクションや、高田賢三パリ・コレクションにも参加した。その後、オンシアター自由劇場で「遥かなる鼓笛」(串田和美作・演出)出演より4年間で5本の作品に出演。 1973年7月、劇団東京キッドブラザース「猿のカーニバル」で舞台初主演[2]。これをきっかけに役者業に意欲を燃やした[2]。同年秋、21歳で写真家・立木三朗と結婚[2]。4年後離婚。立木リサ名義で1974年から4年間[2]日本テレビ11PM』(水曜イレブン)の司会を愛川欽也と務める[2]

1980年代には『プロハンター』(日本テレビ)[8]などのドラマ、『オン・ザ・ロード』や『探偵物語』などの映画に出演した[9]舞台出演も多い。

1984年、一般男性と再婚。1986年に男子、1987年に女子(麻里也)を出産。その後離婚。

人物

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  • 2001年からビーズアートの教室を開き、本などを出版している。
  • 認知症の母を自宅で介護していたが、母の部屋で数冊の大学ノートを見つける。そこには「娘なんて産まなきゃよかった」などの言葉があった。秋川にとっては幼い頃から言われ続けてきた言葉であったが、文章として見ると愕然とした。その後母の徘徊頻度は上がり、秋川はやむをえず母を特別養護老人ホームに入居させる。この経験を秋川は「母の日記」という本にまとめた[4][10]
  • 父親は当時、日本に駐留していたアメリカ軍の技術者で、秋川が生まれる前に日本を去っていたため、両親は正式に結婚していなかった。幼少期はハーフに対する差別がきびしくいじめを受けた。それでも祖母が「親は正式に結婚してないのだから、しかたないわね」との発言を聞き、くじけずに生きることを決心。モデルという仕事にたどり着いたのも「人と違う風貌を武器にして、人と違う個性を生かしなさい」「自立した女性になりなさい」という祖母のアドバイスによる[6]
  • 2017年9月の取材では、それより10年以上前の時点から「ごはん会」という行事を開催している。「子どもと母がいなくなって、部屋が4つも空いちゃったのよ。当時はバーやレストランに集まってワイワイガヤガヤやっていたんだけど、家をきれいに維持するためにも、人を呼んだほうがいいかなって。それに自分の“生存確認”をみんなにしてもらおうと思ったの。“みんな”というのは近所の人やバーで知り合った若者たち。異文化交流も兼ねて、月に数回は家に集まって食事会をしています」とごはん会について雑誌のインタビューで詳しく語っている[6]

出演

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バラエティ

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ほか多数

テレビドラマ

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映画

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舞台

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1973〜1978 串田和美主催 自由劇場にて 「遙かなる鼓笛」より 五年間 「もっと泣いてよフラッパー」まで 公演参加

  • ミツコ〜ウィーンの伯爵夫人〜(松竹)
  • マクベス(松竹)
  • イノゼーズオフ(松竹)
  • にんじん(松竹)
  • 華麗なる男爵夫人(松竹)
  • グッバイチャーリー(東宝)
  • 大草原の小さな家(バンダイ)
  • ブルーエンジェル(ホリプロ、脚本:Pam Gems/演出:加藤直)
  • 洪水の前(1982年、いずみたくフォーリーズ、脚本:矢代静一/演出:藤田敏夫/音楽:いずみたく) - 主演:まり 役
  • キネマの天地(1987年4月、松竹、大阪公演)
  • ラ・カージュ・フォール(1985年2月、東宝、帝国劇場)
  • 逢魔が変暦(1988年10月、松竹、新橋演舞場)
  • いかれた主婦(1990年、ハウス食品)
  • もっと泣いてよフラッパー(1993年、Bunkamura/1994年、Bunkamuraシアターコクーン)
  • 源氏物語(1993年11月、作:紫式部/脚本・演出:村井秀安)
  • 大阪から来た女(2001年11月、松竹、作・演出:斉藤雅文/演出:藤山直美、大阪松竹座/新橋演舞場)
  • 椿姫(2004年4月、松竹、大阪松竹公演)
  • アニー
  • リタの教育
  • 他 多数

著書

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  • 私のラマーズ法出産と育児ノート(1987年12月、講談社
  • 秋川リサの子育てはいつだって現在進行形(1989年9月、鎌倉書房)
  • 娘・麻里也とともにアトピーと闘って(1995年3月、ティ・アイ・エス)
  • 秋川リサのビーズワーク(2002年5月、日本ヴォーグ社)
  • 母の日記(2014年7月、NOVA出版)
  • センス良く生きようよ
  • 他 ほか

レコード

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  • 私のレコード(1973年)
作詞:秋川リサ / 作曲:高橋信之 / 編曲:高橋信之 / プロデュース:加藤和彦
(c/w 私のレコードB面用)
作詞:安井かずみ / 作曲:加藤和彦 / 編曲:瀬尾一三 / プロデュース:田辺昭知・金井浩
(c/w 20才のころ) - 作曲:かまやつひろし

  角川映画 探偵物語 挿入歌 「マンボ」

テレビCM

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脚注

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  1. ^ 「テーマ大特集 身長物語 背の高さのお話 ノッポさんのユカイな考察 スタアのノッポさん」『スタア』1975年7月号、平凡出版、176–179頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i 結城信孝 (1974年1月22日). “早射ちカポネの盗聴作戦 ゲスト 秋川リサ"昼下がりの告白" モデルと主婦業…やっぱりムリのよう…”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 8 
  3. ^ a b c 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、18頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  4. ^ a b c 清川卓史 (2016年5月10日). “「娘なんて産まなければ」母の日記に衝撃 秋川リサさん”. 朝日新聞デジタル (新聞社). オリジナルの2016年5月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160510162057/https://www.asahi.com/articles/ASJ4H3SYLJ4HULZU003.html 2023年1月23日閲覧。 
  5. ^ 秋川リサのプロフィール/写真/画像”. goo ニュース. 2020年8月24日閲覧。
  6. ^ a b c 週刊女性2017年9月26日号
  7. ^ a b “秋川リサ38年前の高卒ヌード写真を披露”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2009年4月20日). オリジナルの2009年4月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090421161513/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090420-485292.html 2023年1月23日閲覧。 
  8. ^ http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-18588
  9. ^ https://moviewalker.jp/person/83624/
  10. ^ 秋川リサ、壮絶介護を綴る…87歳認知症の母との日々 サンケイスポーツ 2014年7月16日
  11. ^ 萩原健一主演、高橋恵子共演

外部リンク

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