竹富町立鳩間小中学校
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竹富町立鳩間小中学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 竹富町 |
設立年月日 |
1896年6月19日(小学校) 1949年(中学校) |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
B147238100078 小学校) C147238100085 (中学校) | (
中学校コード | 470164[1] |
所在地 | 〒907-1544 |
外部リンク | 公式サイト |
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竹富町立鳩間小中学校(たけとみちょうりつ はとましょうちゅうがっこう)は、沖縄県八重山郡竹富町字鳩間(八重山列島鳩間島)にある町立小中学校である。
概要
[編集]里親制度及び海浜留学で知られ、ドラマ『瑠璃の島』等のモデルになっている[2][3]。島民の高齢化が進み里子の受け入れが困難になっているため、2018年度に鳩間島留学支援施設「つばさ寮」を開寮し、鳩間島留学制度を開始している[4][5]。
沿革
[編集]- 1896年(明治29年)6月19日 - 大川尋常小学校鳩間分校として番所跡(現在の鳩間公民館)に開校[6][7]。
- 1901年(明治34年) - 西表尋常小学校鳩間分教場となる。
- 1907年(明治40年) - 独立して鳩間尋常小学校となる。
- 1941年(昭和16年) - 竹富村鳩間国民学校に改称。高等科を併置。
- 1949年(昭和24年) - 新学制施行により鳩間小学校に改称。中学校が併置される。校舎を現在地に移転。
- 1974年(昭和49年)3月 - 鳩間中学校が休校。
- 1981年(昭和56年) - 鳩間小学校の児童数が1名となる[2]。
- 1982年(昭和57年) - 住民が親戚から子供2名を預かり小学校が存続[2]。
- 1983年(昭和58年)4月 - 児童養護施設から里子4名を受け入れ[2]。
- 1984年(昭和59年)4月 - 鳩間中学校が再び開校。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)4月 - 鳩間中学校が再開[8][10]。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(令和元年)5月25日 - 新校舎改築記念式典[12]。
本校を題材・モデルとする作品
[編集]- 森口豁『子乞い』 - ノンフィクション[2]
- 尾瀬あきら『光の島』(2001年 - 2004年) - 漫画[2]
- 『瑠璃の島』(2005年) - テレビドラマ[3]
- 『家族になろうよ!』(1999年) - テレビドラマ[2]
- 鴻上尚史『青空に飛ぶ』(2017年) - 小説
脚注
[編集]- ^ 沖縄県所属中学校コード表 (PDF)
- ^ a b c d e f g 鈴木崇之; 加藤彰彦 (2003-10-31). “鳩間島における養育里親および海浜留学制度について(その1)”. 沖縄大学地域研究所所報 (沖縄大学) (30): 109-120 2018年4月18日閲覧。.
- ^ a b 堀本雅章 (2013-06-25). “研究ノート 竹富町鳩間島における島民意識と観光の特色” (PDF). 沖縄地理 (沖縄地理学会) (13): 49-60 2018年4月18日閲覧。.
- ^ a b c “鳩間島でたくましく 町教委の留学制度始動”. 琉球新報. (2018年4月14日). オリジナルの2021年5月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “鳩間島留学支援施設「つばさ寮」落成・開寮”. 八重山毎日新聞. (2018年4月9日). オリジナルの2018年4月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ 藤井美加「: 沖縄県・鳩間島の海浜留学を事例に」 奈良女子大学社会学論集 16, p.181-194、2009年3月1日、奈良女子大学
- ^ 大城肇「基調講演『鳩間島の過去と未来』」 竹富町史だより第39号 (PDF)
- ^ a b c d “小中校ダブル入学 鳩間島、中学は半年ぶり再開”. 琉球新報. (2010年4月9日)
- ^ a b c 町史 2015, p. 230.
- ^ 町史 2015, p. 231.
- ^ “鳩間島留学制度について”. 竹富町. 2022年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月25日閲覧。
- ^ “新校舎 島民がお祝い/鳩間小中学校で式典”. 沖縄タイムス. (2019年6月2日). オリジナルの2022年7月21日時点におけるアーカイブ。
参考文献
[編集]- 竹富町史編集委員会 編『竹富町史 第六巻 鳩間島』2015年3月31日。