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綿打為氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

綿打 為氏(わたうち ためうじ、? - 1338年?)は、南北朝時代の武将。通称は太郎。官職は刑部大舘家氏の長男、宗氏、金谷重氏、有氏の兄、氏義[1]の父、氏頼[1]の祖父。

概要

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1333年新田惣領家新田義貞の麾下として、弟宗氏とともに鎌倉幕府討伐に従軍した。同年に弟が鎌倉極楽寺坂で戦死を遂げたが、以降も義貞に従った。

1338年に義貞が越前藤島で戦死すると、後に同じ南朝方の北畠顕家に従って、転戦を繰り返して摂津堺浦で、顕家とともに戦死を遂げた[2]

異説としては、1340年に花園宮満良親王を奉じて、土佐方面で活躍したともいう[3]

脚注

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  1. ^ a b 『長楽寺系図』によれば、1337年に氏義・氏頼父子は越前金ケ崎城落城の際に、義顕とともに自害したという。
  2. ^ 『大友文書』『深堀系図証文記録』
  3. ^ 『蠧簡集拾遺』