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若柳吉蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若柳 吉蔵(わかやぎ きちぞう)は、若柳流宗家家元名跡。当代3代目。5世若柳流宗家家元。

歴代の家元に関しては若柳流#派と家元項参照。

初代

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若柳 吉蔵明治12年(1879年6月21日 - 昭和19年(1944年1月25日) 本名は竹内幸太郎。2世若柳流家元。

初代 若柳わかやなぎ 吉蔵きちぞう
三遊亭小圓遊
本名 竹内 幸太郎
生年月日 1879年6月21日
没年月日 (1944-01-25) 1944年1月25日(64歳没)
出身地 現在の日本の旗 日本東京駅文京区小石川水道町
師匠 西川古代
初代三遊亭圓遊
若柳壽童
家族 初代三遊亭圓遊(実父)
2代目若柳壽童(養子)

東京小石川水道町の生まれ。父が落語家で「ステテコ踊り」で一世風靡した初代三遊亭圓遊

  • 12歳で振付師・西川古代に入門。
  • 2年後廃業し落語家に転じ父の門下になり三遊亭清遊から三遊亭小圓遊を名乗った。
  • その後新派の俳優となる。
  • 1896年、再度舞踊に転じ若柳流・若柳吉松(後の若柳壽童)の門下になり翌年吉蔵を名乗る。
  • 1908年10月23日、新富座で名披露目会。
  • 1917年に師・壽童が死去。
  • 翌年、2世若柳流家元を継ぐ。

墓所は谷中霊園天王寺墓地。戒名は「信妙院遊阿弥即真居士」。

養子が2代目吉蔵(後の2代目壽童)を襲名し3世若柳流家元を継いだ。

2代目

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若柳 吉蔵(大正10年(1921年8月11日 - 平成元年(1989年7月17日) 本名は竹内正次。3世若柳流家元。

後の2代目壽童。姉には初世若柳吉世

3代目

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若柳 吉蔵昭和45年(1970年1月10日 - ) 本名は竹内英雄。5世若柳流家元。

2代目の三男。

若柳吉蔵 (3代目)の項参照。