菊里町
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菊里町 | |
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北緯35度9分58.84秒 東経136度55分30.04秒 / 北緯35.1663444度 東経136.9250111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
町名制定 | 1933年(昭和8年)7月1日[1] |
町名廃止 | 1977年(昭和52年)10月23日[2] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
菊里町(きくざとちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。1977年(昭和52年)、新栄三丁目に編入され、消滅した[2]。
地理
[編集]東は千種本町1丁目、西は老松町、南は王子町1丁目・塚越町、北は車道東町に接する[3]。
学区
[編集]- 高等学校 - 尾張学区
- 中学校 - 名古屋市立白山中学校
- 小学校 - 名古屋市立新栄小学校[4]
人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 669人[5] | |
1955年(昭和30年) | 657人[5] | |
1960年(昭和35年) | 683人[6] | |
1965年(昭和40年) | 592人[6] | |
1970年(昭和45年) | 448人[4] | |
1975年(昭和50年) | 398人[4] |
歴史
[編集]地名の由来
[編集]沿革
[編集]- 1933年(昭和8年)7月1日 - 中区奥田町の大部分と下奥田町の一部により、同区菊里町として成立[1]。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 中区千種町五反田の一部が編入[1]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区菊里町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区菊里町となる[1]。
- 1977年(昭和52年)10月23日 - 住居表示実施に伴い、中区新栄三丁目に編入され、消滅[2]。
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 福岡清彦 1976, p. 2.
- ^ a b c 名古屋市計画局 1992, p. 785.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989.
- ^ a b c 名古屋市総務局統計課 1977, p. 49.
- ^ a b 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 80.
- ^ a b 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 309.
参考文献
[編集]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年、463頁。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
関連項目
[編集]車道東町 | ||||
老松町 | 千種本町1丁目 | |||
菊里町 | ||||
王子町1丁目・塚越町 |