蓮見三郎
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選手情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 中距離走 | |||
種目 |
800メートル競走 1500メートル競走 | |||
大学 | 日本歯科医学専門学校 | |||
生年月日 | 1896年1月23日[1][2] | |||
出身地 | 埼玉県[2] | |||
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蓮見 三郎(はすみ さぶろう、1896年1月23日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手(中距離走)・指導者、歯科医師。1920年アントワープオリンピックに出場。名はのちに宏[3][4][注釈 1]。
経歴
[編集]埼玉県北足立郡大砂土村(現在のさいたま市北区本郷町)出身[4]。生家は素封家[4]。明治39年に大砂土小学校を卒業、旧制浦和中学校(埼玉県立浦和高等学校の前身)を経て、日本歯科医学専門学校(日本歯科大学の前身)に進学した[4][注釈 2]。
スポーツ人として
[編集]少年時代よりスポーツを愛好し、中距離走に秀でた成績を残した[4]。日本歯科医専在学中に[3]、1920年アントワープオリンピックに参加し、男子800メートル競走および1500メートル競走に出場した[1]。日本国内のオリンピック予選会では800m走(2分05秒0)[5]・1500m走(4分25秒0)[6]の日本記録を残している。
その後日本陸上競技連盟の幹部となり[4]、1932年ロサンゼルスオリンピックでは、日本選手団の陸上競技総監督およびヘッドコーチを務めた[4]。
歯科医として
[編集]歯科医師となり宮町(現さいたま市)で開業した[4]。戦時下の1942年に医歯一元化論争が生じると、当時は埼玉県歯科医師会副会長を務めていた蓮見は、一元化論の主唱者の一人となった[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “Saburo Hasumi Olympic Results”. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
- ^ a b c 日本スポーツ協会(編)『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』日本スポーツ協会、1933年、ハの部 p.9頁 。2021年8月18日閲覧。(国会図書館デジタルライブラリ)
- ^ a b “校友多才人列伝”. 日本歯科大学. 2019年10月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 黒須元治 (1984年3月31日). “随筆オリンピックの勇者 蓮見宏(本郷むかしばなし その十六)”. 本郷町自治会広報誌 54号: p. 4 2020年11月1日閲覧。
- ^ “日本学生記録の変遷 男子800m”. 日本学生陸上競技連合. 2020年11月1日閲覧。
- ^ “日本学生記録の変遷 男子1500m”. 日本学生陸上競技連合. 2020年11月1日閲覧。
- ^ 金子譲、高橋英子、阿部潤也ほか「戦時下の歯科医学教育 第3篇 大政翼賛会医界新体制協議会における歯科医育論争と国民医療法(1)」『歯科学報』第120巻第4号、2020年、2020年11月1日閲覧。