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藤堂高朶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤堂高朶
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 延享3年8月18日1746年10月2日
死没 享和元年11月25日1801年12月30日
改名 左京・胆三郎(幼名)、高朶
戒名 浄心院殿安住解脱大居士
墓所 三重県津市寿町の寒松院
官位 従五位下、左京亮
幕府 江戸幕府
伊勢国久居藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂高豊、母:前野氏
兄弟 高敦高朶高悠高興
正室:なし
実子:なし、養子:高興
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藤堂 高朶(とうどう たかえだ)は、江戸時代中期から後期の大名伊勢久居藩の第8代藩主。久居藩藤堂家8代。久居陣屋の主。

生涯

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延享3年(1746年)8月18日、伊勢津藩主・藤堂高豊の次男として津で生まれる。明和7年(1770年)9月7日、久居藩主だった兄の高敦が高嶷と改名して本家津藩主として転任したため、その跡を継いで久居藩主となった。12月16日に叙任する。

甲州河川の手伝い普請や勅使の接待役などを務めたが、そのために藩は財政難で苦しんだ。安永4年(1775年)12月28日、弟で養嗣子の高興に家督を譲って隠居する。その後は茶道や歌道など、文化生活を送ったという。

藤堂高朶の墓(津市寒松院)

享和元年(1801年)11月25日、久居で死去した。享年56。

系譜

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父母

養子