藤波種忠
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正6年(1578年) |
死没 | 寛永21年11月2日(1644年12月1日) |
改名 | 阿古丸(幼名) |
官位 | 正五位下神祇権少副 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇 |
氏族 | 藤波家 |
父母 | 父:藤波慶忠、母:甘露寺経元女 |
妻 | 来島通総女 |
子 | 友忠 |
藤波 種忠(ふじなみ たねただ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日本の公家、神宮祭主。
生涯
[編集]神宮祭主藤波慶忠の子として、天正6年(1578年)に生まれる。
慶長3年11月23日、父の死後、元服し、昇殿・禁色を許された。翌年には12歳で祭主に補任される。しかし昇叙はなかなか叶わなかった。元和10年、息子の友忠に祭主職を譲任した。寛永21年(正保元年、1644年)、67歳で卒去した。堂上家でありながら、長命にして地下人に留まった不遇な人生であった。
官歴
[編集]- 慶長3年11月23日(1598年12月21日)、蔵人、正六位上、左近将監
- 慶長4年2月27日(1599年3月23日)、祭主
- 慶長6年3月19日(1601年4月21日)、神祇権少副
- 慶長20年1月6日(1615年2月3日)、正五位下
- 元和10年1月6日(1624年2月24日)、祭主を譲任
系譜
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- 宝月圭吾・岩沢愿彦監修『系図纂要』第十三冊、名著出版、1974年。