コンテンツにスキップ

豆津橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国道264号標識
国道264号標識
豆津橋
上流側から望む豆津橋地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 右岸:福岡県久留米市大石町
左岸:佐賀県みやき町江口
交差物件 筑後川
用途 道路橋
路線名 国道264号標識国道264号
管理者 福岡県久留米県土整備事務所
佐賀県東部土木事務所
竣工 1993年(4代目)
座標 北緯33度18分53秒 東経130度29分17秒 / 北緯33.31482度 東経130.48793度 / 33.31482; 130.48793
構造諸元
形式 5径間連続PC箱桁橋
材料 鉄筋コンクリート
全長 355 m
11 m(暫定)
最大支間長 90 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

豆津橋(まめづばし)とは、福岡県久留米市佐賀県みやき町の間を流れる筑後川にかかる国道264号の橋である。

概要

[編集]

久留米市とみやき町・佐賀市方面を結ぶ。約1.4km上流に長門石橋、約1.8km下流に筑後大堰管理橋が位置する。

県境を跨ぐ橋であり、親柱には両県の県木や県鳥をあしらわれ、歩道には久留米絣佐賀錦のデザインを取り入れたカラー舗装が施されている[1]

国道264号は豆津橋と久留米市中心部を通過するが、久留米市内・豆津バイパス区間の4車線が豆津橋の直前から2車線に減少する。さらに、大石町はバスの通行量も多く、佐賀方面から久留米方面へ向かう車が多い。このために、豆津橋では渋滞が慢性化している。

歴史

[編集]

渡し舟が利用されていたこの付近で初めて橋が掛けられたのが1899年(明治32年)、常設舟橋で増水時には撤去していた。その後2代目として、幅4.5m、長さ355mの大きな木製の常設橋が掛けられたが、1921年(大正10年)の洪水で流失。工期4年をかけて1932年(昭和7年)に3代目の鉄筋コンクリート橋が完成した。この橋は長さ350m、幅6m、最大径間30m、また日本国内でも最初期のコンクリートゲルバー橋であった。建設費は189万円に上った(工期4年・2県分担のため参考だが、昭和7年度の佐賀県予算710万円の4分の1に相当する。)[2][3][4]

交通量の増加と老朽化のため、現在の4代目が1988年に着工、1993年(平成5年)に竣工した。完成した橋は長さ355m、2車線歩道付きの幅11m。将来の拡幅として4車線分に当たる幅23mを想定し、橋脚は4車線分の幅で建設されている[1]

4代目竣工後、久留米市側のバイパス道路として、豆津橋から直進するルートに全線4車線の豆津バイパスの建設が進められ、2012年に開通した。国道指定区間もバイパスの松ヶ枝町交差点を経由し広又通りに至るルートに変更。大石町を蛇行しJR久留米駅南を通り明治通りにつながる旧道は、市道と県道753号に指定替えとなった。

交差する道路

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 工事紹介・報告(4)一般県道264号 豆津橋 - 福岡県、『九州橋梁・構造工学研究会会報』、第9号、1992年、p.52
  2. ^ 「質疑応答」、土木学会、『土木学会誌』、35巻6号、1950年。pp.44-45.
  3. ^ 横道英雄「日本におけるコンクリート橋について」、土木学会、『土木学会誌』、39巻12号、1954年。pp.77-78.
  4. ^ 「橋めぐりにしひがし 佐賀県の巻」、日本橋梁建設協会、『虹橋』、38号、1988年。pp.14-15.