賀野村
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かのそん 賀野村 | |
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廃止日 | 1955年4月25日 |
廃止理由 |
新設合併 手間村、賀野村 → 会見町 |
現在の自治体 | 南部町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,164人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 岸本町、手間村、西伯町、日野郡溝口町 |
賀野村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡賀野村大字金田字鳴居 |
座標 | 北緯35度20分16秒 東経133度24分43秒 / 北緯35.33786度 東経133.41186度座標: 北緯35度20分16秒 東経133度24分43秒 / 北緯35.33786度 東経133.41186度 |
ウィキプロジェクト |
賀野村(かのそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。
地理
[編集]手間山の南東山麓の大谷筋・小松谷・朝鍋谷、高原の御墓原・越敷野に位置していた[2]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡荻名村、市山村、浅井村、高姫村、井上村、御内谷村、金田村、朝金村、池野村、鶴田村が合併して村制施行し、賀野村が発足[1][2]。旧村名を継承した荻名、市山、浅井、高姫、井上、御内谷、金田、朝金、池野、鶴田の10大字を編成[2]。役場を大字金田字鳴居に設置[7]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]。
- 1911年(明治44年)大字浅井に耕地整理組合設立[6]。
- 1917年(大正6年)御内谷耕地整理組合設立[8]
- 1948年(昭和23年)賀野村農業協同組合設立[4]
- 1954年(昭和29年)大字市山字天王原に賀野保育園開設[4]。
- 1955年(昭和30年)4月25日、西伯郡手間村と合併し、町制施行し会見町を新設して廃止された[1][2]。合併後、会見町大字荻名・市山・浅井・高姫・井上・御内谷・金田・朝金・池野・鶴田となる[2]。
地名の由来
[編集]産土神賀茂神社、熊野神社の神社名にちなむ[2]。
産業
[編集]- 農業
教育
[編集]- 1873年(明治6年)第7番小学浅井学校開校[6]、浅井学校池野分校開校[3]。1887年(明治20年)池野簡易小学校となる[3]。1893年(明治26年)池野尋常小学校に改称[3]。1954年、大字池野字助ケ崎に新築移転[3](現:南部町立会見第二小学校)。
- 1890年(明治23年)9月、宮前尋常小学校から金田尋常小学校が独立[7]。(現:南部町立会見小学校)
脚注
[編集]- ^ a b c 『市町村名変遷辞典』200頁。
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』236頁。
- ^ a b c d e 「池野〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』90頁。
- ^ a b c 「市山〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』97-98頁。
- ^ 「高姫〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』464-465頁。
- ^ a b c 「浅井〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』68頁。
- ^ a b 「金田〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』234頁。
- ^ 「御内谷〈会見町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』724頁。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。