赤木顕次
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あかぎ けんじ 赤木 顕次 | |
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生誕 |
1891年 北海道小樽市 |
死没 | 1959年 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 北海道大学 |
職業 | 宗教家 |
赤木 顕次(あかぎ けんじ、1891年(明治24年) - 1959年(昭和34年))は、日本の宗教家、PL教団祐祖。日本三大寮歌である北海道大学恵迪寮の明治45年寮歌「都ぞ弥生」の作曲者。北海道小樽市出身。
人物
[編集]1891年、小樽市の医者の家に生まれる[1]。生まれつき耳が遠かったものの、ハーモニカの名手であった[1]。京北中学校から北海道大学農学部に進学した。
1912年、日本三大寮歌のひとつとなる、北海道大学恵迪寮の明治45年寮歌「都ぞ弥生」を寮の同室であった横山芳介が作詞し、赤木が作曲した[2]。 都ぞ弥生の作歌活動のために一年留年し、1917年(大正6年)に、畜産科を卒業した[2]。
卒業後、東京、広島で食品化学会社研究員、東京帝国書院で教科書編集、中学教師と勤める[2]。1930年(昭和5年)2月にPL教団の前身となる新興宗教団体「ひとのみち」にて准教祖の一人となる[3]。1938年(昭和13年)に不敬罪のため教団は解散したが、その後、PL教団の結成に関わる。 1951年(昭和26年)には神霊下附式が執り行われ、PL教団の祐祖となる[3]。
2013年5月、恵迪寮明治45年寮歌「都ぞ弥生」を作ったエピソードが恵迪寮同窓会と北海道放送によってドキュメンタリードラマ化され、放送された[1]。
来歴
[編集]- 1891年 - 小樽市で生誕。
- 1912年 - 恵迪寮明治45年寮歌「都ぞ弥生」作曲。
- 1917年 - 北海道帝国大学卒業。
- 1930年2月 - 新興宗教団体「ひとのみち」准教祖に就任。
- 1951年5月26日 - PL教団祐祖に就任。
- 1959年 - 逝去。
関連項目
[編集]- 横山芳介 - 北海道大学恵迪寮の明治45年寮歌「都ぞ弥生」の作歌者
- 清き國ぞとあこがれぬ - 北海道大学恵迪寮の明治45年寮歌「都ぞ弥生」の制作過程を描いたドキュメンタリードラマ