金剛童子山
金剛童子山(こんごうどうじさん)は、京都府北部の丹後半島にある山[2]。標高は614メートルであり、竹野郡では太鼓山に次ぐ高峰である[3]。京丹後市大宮町五十河の北にある高尾山(620m)から北に向かって依遅ヶ尾山(540m)まで続く金剛童子山山系(熊野山系)の主峰である[4]。別名は熊野山[2][5]。
名称
[編集]密教の護法童子(仏法を守る童子姿の鬼神)の中の一子が山名の由来であるとされる[5]。山頂には役小角(えんのおづぬ)を祀った行者堂が建っており[5]、周辺地域から信仰を集める[1]。
地理
[編集]第三紀古期の安山岩からなるトロイデ型(鐘状型)の山である[4]。丹後半島の中央部にあり[5]、西方にある竹野川流域の峰山盆地から眺望できる[4]。山域にはカエデが多く、シャクナゲの群生地もある[2][4]。
頂上付近には絶壁が多い[4]。標高約350mの味土野から登山道が伸びており、味土野から山頂まで約50分である[5]。山頂は京都府京丹後市弥栄町等楽寺と須川の中間付近にある[2]。
飛鳥時代に呪術師の役小角が修行したことから、かつては20以上の坊があったとされ、今日でも行場や行者堂がある[2]。中腹には宇多天皇の治世(867年-931年)に行恵が創建したとされる生蓮寺の遺構がある[3]。
味土野集落
[編集]南東麓の標高350-400メートル付近には味土野(みどの)集落がある[2]。味土野は天正10年(1582年)の本能寺の変後に細川ガラシャが幽閉されていた集落であり、「御殿」(みどの)と書いた時期もあった[2]。かつては南麓の標高400メートル付近に高原集落があり、味土野からこの高原集落に道が通じている[2]。
かつて味土野には弥栄町立野間小学校味土野分校があり、1971年(昭和46年)の閉校翌年には弥栄町営ガラシャ荘として使用されたが、消防法の関係で宿泊が不可能になったことから、味土野公民館として使用されていた[2]。1963年の三八豪雪(丹後豪雪)を機に味土野集落から離れる住民が相次ぎ、2016年(平成28年)時点では3世帯5人が暮らすのみである[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年
- 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年
- 「角川日本地名大事典」編さん委員会『角川日本地名大事典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
- 『京都府の山』(分県登山ガイド)山と渓谷社、2017年
- 日本山岳会『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年