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長良大橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長良大橋
左岸下流より 地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 岐阜県[1]岐阜市茶屋新田 - 大垣市墨俣町墨俣 間
交差物件 長良川[2]
路線名 岐阜県道31号岐阜垂井線[5]
管理者 岐阜県[3]
設計者 岐阜県(北原技師[2][4][注 1]
施工者 横河橋梁製作所(上部工)[6]
着工 1931年昭和6年)4月[2]
竣工 1933年(昭和8年)6月[7]
開通 1933年(昭和8年)11月15日[6]
座標 北緯35度21分43秒 東経136度41分20秒 / 北緯35.362056度 東経136.68875度 / 35.362056; 136.68875座標: 北緯35度21分43秒 東経136度41分20秒 / 北緯35.362056度 東経136.68875度 / 35.362056; 136.68875
構造諸元
形式 曲弦ワーレントラス橋[3]
材料 鋳鋼[1]
全長 384.85m[8]
14.815m[8]
最大支間長 64m[1]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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岐阜県道31号標識

長良大橋(ながらおおはし)は、岐阜県岐阜市と同県大垣市を結ぶ、長良川に架かる岐阜県道31号岐阜垂井線橋梁である[7]

概要

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岐阜県の、昭和恐慌による失業者への救済策である「岐垣国道改築工事事業」の一つとして、長良川に架橋された[8]

道路・鉄道併用橋として竣工したが、鉄道計画は事業化されず[3]1964年昭和39年)に軌道敷は道路床版に改められ、道路専用橋となった[7]

公益社団法人土木学会が選奨土木遺産に認定したほか、岐阜県は歴史的土木構造物としている[3]

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 設計に増田淳の増田橋梁事務所が関与していたことが分かっている[5]

出典

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  1. ^ a b c 内務省土木試驗所『本邦道路橋輯覧第三輯』内務省土木試驗所、東京、1935年11月30日、63頁。doi:10.11501/1242806全国書誌番号:47020046 
  2. ^ a b c 長良大橋工事概要」(PDF)『土木学会誌』第19巻第4号、社団法人土木学会、東京、1933年4月、274-276頁、ISSN 0021468X全国書誌番号:000174592019年11月14日閲覧 
  3. ^ a b c d 岐阜県県土整備部道路維持課「歴史的土木構造物「長良大橋」の保全について」(PDF)『建設マネジメント技術』、一般財団法人経済調査会、東京、2013年10月、76-78頁、全国書誌番号:001084322019年11月14日閲覧 
  4. ^ 地方通信」(PDF)『道路の改良』第13巻第3号、社団法人道路改良会、東京、1931年3月1日、125-129頁、2019年11月22日閲覧 
  5. ^ a b c 福井次郎「忘れられた橋梁技術者・稲葉健三」『土木史研究論文集D2』第73巻第1号、公益社団法人土木学会、東京、2017年、28-41頁、doi:10.2208/jscejhsce.73.28ISSN 2185-6532NAID 130005988517 
  6. ^ a b 藤井郁夫. “長良大橋1933-11-15 - 橋梁史年表”. 土木学会附属土木図書館. 2019年11月14日閲覧。
  7. ^ a b c 岐阜県総務部統計課『昭和40年岐阜県統計書』岐阜県、岐阜、1967年、296-299頁。doi:10.11501/9527098全国書誌番号:50003949https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/61748.pdf2020年11月1日閲覧 
  8. ^ a b c d 櫻井哲三「岐垣國道改築工事に就て」(PDF)『土木建築工事畫報』第12巻第2号、工事畫報社、東京、1936年2月1日、78-86頁、2019年11月19日閲覧 
  9. ^ 揖斐大橋工事概要」(PDF)『土木学会誌』第19巻第4号、社団法人土木学会、東京、1933年4月、271-273頁、ISSN 0021468X全国書誌番号:000174592019年11月14日閲覧 
  10. ^ 「岐阜市100年<56> 幻の岐垣鉄道」『岐阜新聞』岐阜新聞社、岐阜、1988年5月12日、第36672号、17面、全国書誌番号:00066208