長野城 (伊勢国)
表示
長野城 (三重県) | |
---|---|
長野城跡に建つ石碑 | |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 長野工藤氏 |
築城年 | 文永11年(1274年) |
主な城主 | 長野工藤氏 |
廃城年 | 元亀元年(1570年) |
遺構 | 堀切、土塁 |
指定文化財 |
国の史跡 北緯34度44分31秒 東経136度21分57秒 / 北緯34.741895度 東経136.365695度座標: 北緯34度44分31秒 東経136度21分57秒 / 北緯34.741895度 東経136.365695度 |
長野城(ながのじょう)は、三重県津市美里町桂畑にあった中世の日本の城(山城)。
構造
[編集]標高520mの山頂に位置し、付近の標高230mの丘陵尾根には東の城・中の城・西の城が築かれていた。伊賀道に面した交通の要衝にあり、堀切と土塁に囲まれた郭が点在する。主郭の台状地の三方には土塁を巡らし、さらに周囲には階段状の腰曲輪があった。
歴史
[編集]工藤祐藤によって文永11年(1274年)に築城され、長野工藤氏の拠点とされた。貞和2年(1346年)に北畠氏に攻められて落城したが、文和元年(1352年)に再び工藤氏が入っている。延文5年(1360年)には室町幕府に反乱した仁木義長が逃げこみ、追討軍に対して2年以上籠城を続けた。
永禄12年(1569年)に織田信長が侵攻すると、弟の織田信包を工藤氏の養子として和睦した。信包は元亀元年(1570年)に上野城を居城とし、長野城を廃している。1982年1月16日、付近にある「東の城」「中の城」「西の城」の跡とともに「長野氏城跡」として国の史跡に指定された。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(24.三重県)』、角川書店、1983年