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高 嵩濤(こう すうとう、天明元年(1781年) - 嘉永7年1月27日(1854年2月24日))は江戸時代の英派の絵師、狂歌師。
高嵩谷の門人。本姓は松下、後に奥田と改姓する。通称は虎之助。後に建蔵といった。嵩濤、英一翠、拳々斎、虎風堂、画賛人と号す。江戸赤坂の商家に生まれたが、後に奥田氏に養われ質屋を営んでいる。狂歌を朱楽菅江に学び、自らの狂歌名を時雨庵空言、絵馬屋額輔、絵馬屋賀久助といった。浅草新堀端に住み、狂歌のほか、英一蝶風の絵を多数描いている。作画は文化から嘉永にかけてであった。享年74。墓所は二本榎の証誠寺。法名は英叟院釈一翠居士。
- 太田記念美術館編『鴻池コレクション扇絵図録Ⅰ 浮世絵編』 太田記念美術館、1981年
- 日本浮世絵協会編『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年