BRM・P67
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カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ブリティッシュ・レーシング・モータース | ||||||||
デザイナー | トニー・ラッド | ||||||||
先代 | P261 | ||||||||
後継 | P83 | ||||||||
主要諸元[1] | |||||||||
シャシー | ジュラルミン製モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, インボード式スプリング/ダンパーユニット | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, アウトボードコイルオーバースプリング/ダンパーユニット | ||||||||
トレッド |
前:54 in (1,372 mm) (可変) 後:53 in (1,346 mm) (可変) | ||||||||
ホイールベース | 91 in (2,311 mm) (可変) | ||||||||
エンジン | BRM P56 1,498 cc (91.4 cu in) V8 自然吸気 ミッドエンジン | ||||||||
トランスミッション | BRM P72 6速 マニュアル | ||||||||
重量 | 525 kg (1,157.4 lb) | ||||||||
燃料 | シェル | ||||||||
タイヤ | ダンロップ | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
ドライバー | リチャード・アトウッド | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1964年イギリスグランプリ | ||||||||
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BRM・P67 は、ブリティッシュ・レーシング・モータースが1964年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。トニー・ラッドが設計した。
開発
[編集]ファーガソンがレースから撤退した後、彼らはその四輪駆動技術を興味を持ったF1マニファクチャラーに提供した。1966年シーズンにF1のレギュレーションは3リッターエンジンに変更することとなり、それが近づくにつれBRMは四輪駆動にチャレンジすることを決めた。P67は車体がP261、サスペンションはP57、エンジンは1.5リッターのP56エンジンを前後反転して搭載し、ファーガソンのトランスミッションが組み合わされた。マシンは若手エンジニアのマイク・ピルビームが開発を担当した。ピルビームは後にヒルクライム用車両開発で名を挙げる[2]。
レース戦績
[編集]P67は1964年イギリスグランプリにリチャード・アトウッドのドライブで参加したが、予選の終了後BRMは決勝から撤退した。その後BRMは四輪駆動プログラムをお蔵入りとし、H16エンジンの開発に注力した。興味深いことにこのエンジンは4WD用の2本目のドライブシャフトが通るためのスペースが存在していた。
手本となったファーガソン・P99もヒルクライムで活躍しており、P67は後にヒルクライムで使用されることとなった。1967年には2リッターエンジンに換装されパワーアップが図られた[3]。ファーガソン製トランスミッションのトルク配分を調整した後、P67はヒルクライムで大成功を収めた。ピーター・ローソンは1968年にイギリス選手権でタイトルを獲得した。
F1における全成績
[編集](key)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | ポイント | 順位 |
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1964年 | オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | BRM V8 | D | リチャード・アトウッド | MON |
NED |
BEL |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
USA |
MEX |
0 | - |
WD |