中徳富駅
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中徳富駅 | |
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駅全体(2004年6月) | |
なかとっぷ Nakatoppu | |
◄下徳富 (2.4 km) (2.6 km) 新十津川► | |
所在地 | 北海道樺戸郡新十津川町字弥生 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 札沼線(学園都市線) |
キロ程 | 73.9 km(桑園起点) |
電報略号 | ナフ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1956年(昭和31年)11月16日[1] |
廃止年月日 | 2006年(平成18年)3月18日[JR北 1][新聞 1] |
備考 | 乗降客僅少のため廃止 |
中徳富駅(なかとっぷえき)は、北海道樺戸郡新十津川町字弥生にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅である。事務管理コードは▲130221[2][注 1]。
歴史
[編集]利用客僅少のため当区間廃止に先立つ2006年(平成18年)3月18日に廃駅となった[JR北 1][新聞 1]。
- 1956年(昭和31年)11月16日:日本国有鉄道(国鉄)札沼線の駅として開業[1]。旅客のみ取扱い[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR北海道に継承[1]。
- 1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[JR北 2][JR北 3][4]。
- 1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[4]。
- 2006年(平成18年)3月18日:利用者僅少に伴い廃止となる[JR北 1][新聞 1]。
駅名の由来
[編集]→「新十津川駅 § 駅名の由来」も参照
初代の「中徳富駅」である新十津川駅は、地域名の「徳富」に、石狩川を基準にして中流にあることから「中」を冠したことによる命名であった[5]。2代目の「中徳富駅」である当駅についても、「上徳富」と「下徳富」の中間にあるための命名とされている[6]。
なお、所在地名の「弥生」は、かつて内村ヤエという人物の家の脇を流れる川が「ヤエ川」と呼ばれ、いつしか「弥生」となったものであるとされる[7]。
廃止時の駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎、待合室ともなく、ホームのみが設置されていた。石狩当別駅管理の無人駅だった。駅の北側に南八号線の踏切が接していた。
駅周辺
[編集]周辺は田園風景が広がるのみである。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、834頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道 停車場一覧』日本国有鉄道、1985年9月20日、188頁。doi:10.11501/12065988。ISBN 4-533-00503-9 。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 杉山茂「電化目前の学園都市線と専用気動車のこと」『鉄道ファン』第615号、交友社、2012年7月、27頁。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、32頁。NDLJP:1029473。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、54頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 162. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年10月16日閲覧。
JR北海道
[編集]- ^ a b c “平成18年3月ダイヤ改正について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2005年12月22日). 2005年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月23日閲覧。
- ^ “札沼線(学園都市線)の電化について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2009年9月9日). 2009年9月14日閲覧。
- ^ “札沼線(学園都市線)の電化開業時期について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2011年10月13日). 2011年10月17日閲覧。