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国鉄ワ10000形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄ワ10000形貨車
ワ10012 (吹田信号場)
ワ10012 (吹田信号場)
基本情報
車種 有蓋車
運用者 日本国有鉄道
所有者 日本国有鉄道
製造所 盛岡工場土崎工場新津工場長野工場大宮工場多度津工場
製造年 1955年(昭和30年)
製造数 500両
消滅 1982年(昭和57年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 6,700 mm
全幅 2,732 mm
全高 3,360 mm
荷重 10 t
実容積 26.4 m3
自重 8.3 t
換算両数 積車 1.4
換算両数 空車 0.8
走り装置 一段リンク式二段リンク式
車輪径 860 mm
軸距 3,500 mm
最高速度 65 km/h→75 km/h
備考 *上記寸法は一例である
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国鉄ワ10000形貨車(こくてつワ10000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した有蓋貨車である。本項では、改良型であるワ12000形および同形式の派生形式であるポ300形についても記述する。

概要

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本形式は、1955年(昭和30年)に、国鉄工場において500両(ワ10000 - ワ10499)が製造された、10トン二軸有蓋車である。製造の状況は次のとおりである。

本形式は、戦前に製造されたワ22000形の後継車にあたるものである。同形式の製造終了後は、15トン積みのワム23000形等が製造されてきたが、戦後不況の影響により、小型車の需要が高まったため、再び10トン積みで製造されたのが本形式である。その意味で、トム60000形無蓋車テ1000形鉄製有蓋車ツ4000形通風車と軌を一にする。また、本形式は、戦時中に大量に製造され、戦時輸送の終了により大量の余剰が発生していたトキ900形無蓋車の改造名義で一部の部品を流用して製造された。

本形式の基本構造はワ22000形と同様であるが、高さと幅を若干大きくし、容積を24.0m3から26.4m3に増大させている。また、走行の安定性向上を図るため、軸距を3,000mmから3,500mmに拡大した。車軸は改造種車と同様の12トン短軸で、軸ばね吊り(走り装置)は(一段)リンク式であり、最高運転速度は65km/hである。

貨物室には幅1,500mmの鋼製片引戸が1か所(片側)に設けられている。貨物室の寸法は、長さ5,750mm、幅2,300mm、高さ2,000mm、床面積13.2m2である。全長は6,700mm、全幅は2,500mm、全高は3,360mm、自重は8.3tとなった。貨物室内には厚さ20mmの木製の内張りが設けられており、外板との間に空間を設けた二重羽目構造となっている。側引き戸には2本の補強用リブがある。妻板の上部には、ワム23000形と同様の構造の鋼板プレス製の通風器が3つ設けられている。屋根は、鉄製の垂木に厚さ20mmの木製の屋根板を張り、防水布で覆った構造である。

空気ブレーキは、床下スペースが狭隘であることから、シリンダと空気溜めが分離したKD形とし、その中でも最小のKD180形が採用された。留置ブレーキは通常の側ブレーキだが、車端一杯に装備されている。自動連結器は並形上作用である。

1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正で実施された貨物列車の速度向上では、車齢が新しいことから1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて残存の全車を対象に、走り装置の二段リンク式化改造が実施され、最高運転速度が75km/hに向上された。1968年(昭和43年)度末時点の在籍両数は498両であったが、1978年(昭和53年)頃から本格的な廃車が始まり、1982年(昭和57年)度に形式消滅となった。晩年は、ワ12000形とともに事業用配給車救援車)として使用されたものが多かった。

ワ12000形

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ワ12000形は、1956年(昭和31年)に国鉄工場において500両(ワ12000 - ワ12499)が製造された、10トン積二軸有蓋車である。製造の状況は次のとおりである。

  • 盛岡工場 (ワ12000 - ワ12129)130両
  • 土崎工場 (ワ12130 - ワ12259)130両
  • 高砂工場 (ワ12260 - ワ12409)150両
  • 多度津工場 (ワ12410 - ワ12499)90両

本形式はワ10000形の改良型であり、同形式の車軸を12トン長軸、走り装置を新製時から二段リンク式とし、最高運転速度を75km/hとしている。そのため、台枠側梁はワ10000形よりも外側に位置している。その他はワ10000形と同様であり、床面高さ(全高)が5mm上がり、自重が8.8トンに増した程度である。 1968年度末時点では全車が健在で、1980年(昭和55年)頃から本格的な廃車が始まり、1984年(昭和59年)度に形式消滅となった。

ポ300形

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ポ300形は、1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)にかけて、60両(ポ300 - ポ359)が既存車両の改造名義により製作された10トン積み陶器車である。外観・性能はワ12000形と同等で、1955年にトキ900形から20両(ポ300 - ポ319)が、1956年(昭和31年)および1957年(昭和32年)にワム1形から各20両(計40両。ポ320 - ポ359)が改造製作されたが、実態は部品の一部流用程度である。改造工事はすべて長野工場にて行われた。1971年(昭和46年)までに全車廃車となった。

参考文献

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  • 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
  • 「国鉄貨車形式図集I」1992年、鉄道史資料保存会