天来書院
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天来書院 | |
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正式名称 | 株式会社 天来書院 |
英文名称 | Tenrai Shoin Co.,Ltd. |
現況 | 事業継続中 |
種類 | 株式会社 |
出版者記号 | 88715 |
取次会社 | 日本出版販売,トーハン,大阪屋栗田,八木書店,松村書道図書センター |
取次コード | 5050 |
法人番号 | 7010701006395 |
設立日 | 1990年6月2日 |
代表者 | 比田井和子 |
本社郵便番号 | 〒140-0001 |
本社所在地 |
東京都品川区北品川1-13-7 長栄ビル7F |
資本金 | 1000万円 |
得意ジャンル | 書道関連 |
外部リンク | http://www.shodo.co.jp/ |
株式会社 天来書院(てんらいしょいん)は、東京都品川区に本社を置く出版社であり、一貫して書道関係書出版を行う老舗である。大正6年の創業で、創業者は初代芸術院会員である比田井天来。
略歴
[編集]沿革
[編集]創業
[編集]- 1917年(大正6年)5月13日 日下部鳴鶴傘寿を記念し、鳴鶴を会頭とする「大同書会」が結成され、鳴鶴の命により比田井天来が大同書会の経営者となる。幸田露伴、犬養毅、後藤朝太郎、高田竹山、中村不折らといった執筆陣のもとに雑誌『書勢』(編集長井原雲涯)を10月に発刊。これを以って創業となる。
書学院設立へ
[編集]- 1918年(大正7年) 天来は自らのコレクションをもとに、かねてより師鳴鶴との構想であった「書道館」(後の書学院)を建て、歴代の碑帖を展示して学書者に閲覧させようと考え、「書学院建設辞」を草す。
- 1919年(大正8年) 「書学院建設趣旨書」を出す。発起人として犬養毅、細川潤次朗、頭山満、大谷光瑞、樺山資紀、嘉納治五郎、日下部鳴鶴、松方正義、松平直亮、股野琢、後藤新平、小牧昌業、沢柳政太郎、三島毅、釈宗演、土方久元、国外粛親王が名を連ねる。
- 1921年(大正10年) 『学書筌蹄』(全20巻)刊行開始。以後、『余清斎帖』『朝鮮書道精華』『昭代法帖』など多数の書道関係書を刊行する。
- 1922年(大正11年) 日下部鳴鶴没。
- 1924年(大正13年) 東京初台町に居を構え、「書学院」の看板を掲げる。同年、大同書会の法帖出版部門は「書学院後援会」に統合、改称される。
昭和期の活動と変遷
[編集]- 1928年(昭和3年) 4月、『書勢』編集長井原雲涯没。5月号を以って『書勢』休刊。
- 1930年(昭和5年) 東京代々木南山谷に「書学院」を建設。あわせて比田井天来・比田井小琴により、教授部が開設される。
- 1931年(昭和6年) 7月に雑誌『書道春秋』、10月に雑誌『実用書道』創刊。
- 1932年(昭和7年) 鎌倉の「書学院」本部の建設に着手。同11年完成。以後、代々木と鎌倉の両方で「書学院」の活動が行われる。
- 1937年(昭和12年) 4月、鳴鶴門の同志や一門と共に「大日本書道院」を創立。6月、雑誌『書勢』復刊。
- 1939年(昭和14年) 天来没。比田井南谷が「書学院」を継承する。『書勢』誌の刊行を継続し、古碑帖などを出版、小琴を助けて教授部を続行する。
- 1943年(昭和18年) 第二次大戦の激化により、出版部は「大日本書道出版」に参加する。
- 1945年(昭和20年) 終戦となり、出版および教授部の活動は一時停止する。
- 1946年(昭和21年) 鎌倉の「書学院」本部において、小琴が教授部を再開する。
- 1948年(昭和23年) 小琴没。南谷が「書学院」を横浜に移し、現在に至る。
- 1969年(昭和44年) 南谷が横浜にて「書学院出版部」を再開。
天来書院へ
[編集]- 1990年(平成2年) 南谷の長女、比田井和子が「天来書院」として商号変更、法人設立。書籍やビデオなどメディア刊行の他、展覧会、イベントの企画、執筆など活動を広げる。
- 1996年(平成8年) ビデオ『書-二十世紀の巨匠たち』(全6巻)刊行。インターネットホームページ開設。
- 1998年(平成10年) 本社を品川に移転。
- 2002年(平成14年) 天来書院テキストシリーズ増補8巻を加え、2014年現在61巻刊行中。
- 2011年(平成23年) インターネットテレビ局「書道テレビ」を開局し、書道に関するあらゆる分野についての情報発信を開始。
- 2014年(平成26年) インターネットの書道用品専門店「筆屋」を開設。
脚注
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