安行北谷
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安行北谷 | |
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北緯35度50分24.63秒 東経139度46分32.44秒 / 北緯35.8401750度 東経139.7756778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 川口市 |
地区 | 安行地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.214 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,990人 |
• 密度 | 9,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
334-0054[2] |
市外局番 | 048 (川口MA)[3] |
ナンバープレート | 川口 |
安行北谷(あんぎょうきたや)は、埼玉県川口市の大字。郵便番号は334-0054[2]。また草加市に北谷および北谷町と称する町丁があり、旧草加町時代に安行北谷の一部を編入した経緯から、これらの地名がある。もとは江戸期より存在したひとつの北谷村であった[4]。
地理
[編集]川口市の東部の大宮台地(鳩ヶ谷支台)の南端に位置する[4]。東部で草加市北谷と隣接する。南側で草加市小山、西側と北側で安行原と隣接する。地内に西部を見沼代用水(東縁)の分水路である赤堀用水路が流れる。ほぼ全域が宅地化され、戸建の住宅が立ち並ぶ。
沿革
[編集]もとは江戸期より存在した足立郡に属する北谷村であった[4]。
- はじめは幕府領で、後の寛永年間頃に知行は関東郡代伊奈氏となる[4]。なお、検地は1639年(寛永16年)[5]および1678年(延宝6年)に実施。
- 1792年(寛政4年)より伊奈氏が失脚となり、再び幕府領となる[4]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・佐々井半十郎支配所)[6]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、安行、赤山領領家、原、慈林、北谷、苗塚、小山、花栗、藤八新田、吉蔵新田の8箇村2新田が合併し、安行村が成立。北谷村は安行村の大字北谷となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 安行村が川口市に編入され、大字北谷は川口市の大字となり、安行北谷に改称。
- 1957年(昭和32年)5月1日 - 川口市と草加町(現・草加市)との境界変更により、安行北谷の一部が草加町に編入。草加町安行北谷(現在の草加市北谷および北谷町)が成立。
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
安行北谷 | 866世帯 | 1,990人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 川口市立安行小学校 | 川口市立安行中学校 |
交通
[編集]地区内に鉄道は敷設されていない。最寄駅は東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)獨協大学前駅。
道路
[編集]地内に国道および主要地方道・一般県道は通っていない。
- 寿橋通り
施設
[編集]- 安行北谷町会会館
- 城北信用金庫峯新堀支店 安行出張所
- 安行北谷公園
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、53頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- 「北谷村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ139足立郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/101。