山内豊尹
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山内 豊尹(やまうち とよただ、1866年11月18日〈慶応2年10月12日〉[1] - 1912年〈大正元年〉12月30日)は、明治期から大正期にかけての華族。位階・爵位は従三位子爵。
経歴
[編集]前土佐藩主・山内豊信の長男として生まれる。1879年(明治12年)10月に山内家から分家し、華族に列する。
1884年(明治17年)に男爵を叙爵する。同年6月1日には陸軍士官学校に入校する[2]。退校後は、イギリスに留学した。1890年(明治23年)帰国[3]。翌年には子爵に陞爵する。
1912年(大正元年)12月30日、薨去した。享年47(満46歳没)。子爵は長男の豊陽が襲爵したが、1918年に豊陽が隠居したため1946年まで豊健が子爵となる。
栄典
[編集]- 1879年(明治12年)以前 - 従五位
- 1884年(明治17年) - 男爵
- 1891年(明治24年) - 子爵
- 1894年(明治27年)2月2日 - 木杯一組[5]
- 1896年(明治29年)12月21日 - 従四位[6]
- 1897年(明治30年)6月1日 - 木杯一組[7]
- 1909年(明治42年)2月27日 - 従三位[8]
家族
[編集]- 父:山内豊信(1827 - 1872) - 土佐藩第15代藩主。幕末の四賢侯の一人。
- 母:不詳
- 先妻:鈴子(1874 - ?) - 酒井忠彰の娘。
- 継妻:賢子(1872 - 1940) - 加藤泰秋の娘。後に吉川経健の妻となる。
- 継々妻:勝(1877 - 1916) - 松平信庸の娘。
脚注
[編集]日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 陞爵 |
子爵 (高知)山内家(分家)初代 1891年 - 1912年 |
次代 山内豊陽 |
先代 叙爵 |
男爵 (高知)山内家(分家)初代 1884年 - 1891年 |
次代 陞爵 |