酒井忠彰
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時代 | 江戸時代末期(幕末) - 明治時代 |
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生誕 | 嘉永元年9月3日(1848年9月29日)※異説あり |
死没 | 明治29年(1896年)7月31日 |
戒名 | 彰徳院殿 |
墓所 | 東京都台東区浅草の崇福寺 |
官位 | 正四位、下野守(廃止)、子爵 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 上野国伊勢崎藩9代(最後)藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 | 父:酒井忠恒、養父:酒井忠強 |
妻 | 正室:三宅康直の八女・歌(敬子) |
子 |
鈴(山内豊尹室)、忠知(長男)、忠一、 錦子(戸沢正己室) |
酒井 忠彰(さかい ただあきら)は、江戸時代末期の大名、明治時代の日本の政治家、華族。位階爵位は正四位子爵。
雅楽頭系酒井家支流9代目で、上野伊勢崎藩の第9代(最後)藩主、初代(最後)知藩事、貴族院議員を歴任。
経歴
[編集]嘉永元年(1848年)9月3日(または嘉永5年(1852年)10月13日[1])、第7代藩主・酒井忠恒の八男として生まれる。兄で第8代藩主の忠強の養子となり、慶応4年(1868年)6月25日に忠強が隠居したため跡を継いだ。
明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官となる。明治17年(1884年)7月に子爵となる。明治20年(1887年)に正五位に昇進し、明治23年(1890年)7月10日には貴族院議員となる[2]。明治25年(1892年)7月には従四位となり同年7月31日に死去した。
一説に忠強との年齢差からみて、忠彰は忠強の実子ではないかとも言われている。
栄典
[編集]家族
[編集]父母
妻
- 三宅歌(敬子) - 三宅康直の八女
子女
注・出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (伊勢崎)酒井家初代 1884年 - 1896年 |
次代 酒井忠一 |